2011年9月23日金曜日

杉村 春子 その2

 私が杉村春子の身体に初めて気づいたのは小津安二郎の「浮草」(1959)を何度目かに観た時でした。「浮草」は小津がホームグラウンドの松竹を離れ、大映で撮った一作。出演者の顔ぶれはもちろん、演じられた「激しいドラマ」からも、普段の小津作品とは違った印象を受ける映画です。

 紀州の海辺の町にやって来た旅回りの一座の座長、駒十郎(二代目 中村鴈治郎 )は、この町で一膳飯屋を営むお芳(杉村)を久しぶりに訪ねます。二人の間には二十歳になる息子(川口浩)がいるのですが、「伯父」として通し、息子も駒十郎を実の父とは知りません。ここから、一座の女優で駒十郎と良い仲のすみ子(京マチ子)の嫉妬や、座の困窮を動因に物語は進展していきますが、杉村が登場するのはあくまで自宅である飯屋の中だけ。訪ねてくる駒十郎や息子を介した受けの芝居がほとんどです。















  映画の終盤、一座の若い女優、加代(若尾文子)と出奔した息子を案じ、駒十郎とお芳が語り合う場面です。

 期待していた息子の軽はずみな行動に落胆し、悪し様に言う駒十郎に対し、お芳は半分自分に言い聞かせるように「あの子はきっと帰ってくる」と強く言い切ります。この時の杉村の体の使い方は、この後、駒十郎の「三人で一緒に暮らそうか」の言葉に、「そうしてくれる? ありがと、ありがと」と優しい口調でたたみかける部分と明らかに違っていたのです。

 どう違っていたのか。

 前者が腹の底まで通るように深く体を使ってセリフを言っているのに対し、後者は胸を主体に、軽やかに、しかし心をこめて語っています。
  この違い---「杉村春子は言葉と状況に反応して身体を使い分ける」---に気づいてから、彼女の演技が少しずつ明らかになってきたのです。


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