ジーン・ケリー(Gene Kelly)の最初の妻、ベッツィ・ブレアの回想記 「思い出のあれこれ:ニューヨーク、ハリウッド、パリ 恋と政治」(”The memory of all that : love and politics in New York, Hollywood, and Paris" 2003)はこんな文章で始まっている。
ジーン・ケリーは亡くなった時83歳だった。まだ若い三番目の妻が雇った医師が死亡証明書にサインをしているが、それによると、死亡時刻は1996年2月2日、金曜日の朝8時15分である。どういう風にしたらその日の午前中に火葬ができたのか私にはわからない。でも、彼の妻によれば、そうできたのだ。
17年の間、私はジーンを身近で見ていた。彼が28歳から45歳までのことである。その内の16年近く、私は彼と結婚していた。二人の間には娘のケリー(Kerry)もできた。
私生活のジーンは、快活で聡明で、愉快で、優しく、愛情に満ちており、天性の教師だった。(彼が昔ながらのパターナリズムの人だというのは認めるが、でも当時男は大体そういうものだった。) 彼は人生を愛し、子供たちを愛し、遊びを愛し、書物や美術館を愛していた。旅行が好きだが、家にいてビールを飲むのも好きだった。
そして彼は自分の仕事を愛していた。優れた仕事を成し遂げ、ご存じのように成功をおさめた。しかしそれに満足することなく努力を重ね、より良いものにしようとした。もちろん私が言っているのは、彼と一緒に過ごし、よく知っていた17年間のことである。
彼は素敵な二番目の妻、ジニー・コインを得て、もう二人の子供も生まれた。ティムとブリジットだ。でも二人がわずか10歳と8歳の時、ジニーが白血病で亡くなった。これはジーンと子供たちにとって大きな痛手だった。
ジニーの死後、彼が亡くなるまでの間、私たちは年に一、二度会っていた。ロサンゼルスに来るといつもロデオ・ドライヴに向かい、彼とお茶を飲んだものだ。もちろん、昔と同じではない ―― 家は建て替えられ、彼も変わっていた。私は過去 ―― ミュージカル・コメディの全盛期であり、ジーンが最も創作能力を発揮していたあの時代 -- からの訪問者だった。
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