ジュディ・ガーランドについて何か書こうと思えば、その題材に事欠くことはないのかもしれません。
たとえば
天才的な歌唱力や、卓越した演技
アルコールや薬物依存と摂食障害、そしてそれに伴う感情の不安定さ
母親や夫など周囲の人々とのさまざまな葛藤と軋轢
同性愛的嗜好も含めた放縦な性行動
などが、ちょっと考えただけでも頭に浮かんで来ます。
しかしここで私が書きたいのは、相も変わらず彼女の身体に関する事柄です。
彼女の体は彼女の体であって彼女のものではない。謂わば、彼女自身も含め彼女に関わった多くの人々に「よってたかって作られた」身体と言えるでしょう。
歌は上手いがお世辞にも見てくれが良いとは言えない13歳の少女がMGMと契約したとき、「成長の苦悩」と「変容の強制」が二つながら彼女にのしかかってくることになります。彼女の才能は周囲や当人の思惑や予想を遙かに超えた速さで大衆の心をつかんで行きますが、それがために彼女の身体には薬物やダイエット、そしてハードワークという形で過剰な負担がかるのです。その過程で彼女は文字通り「醜いアヒルの子から白鳥に」変わり、そしてあっという間に衰え、消耗して行きます。
MGMを契約解除になった後も事情は変わらず、ついには47歳での早すぎる死を迎えることになるのです。
ジュディ・ガーランドは、その人生において「成長しながら衰え」、「枯れ果てながら深みを増して行った」人です。その矛盾する肉体の変化の過程をたどりながら、同時に、この天才を天才たらしめている身体の秘密の一端を明らかに出来れば幸いだと考えています。
なお、歌唱に関する基本的な私の考えは「ちあきなおみ」の項に書きましたので、それを参考にしてください。
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