2011年10月2日日曜日
杉村 春子 その6 「終わりに」
2011年10月1日土曜日
杉村 春子 その5
2011年9月25日日曜日
杉村 春子 その4
2011年9月23日金曜日
杉村 春子 その3
杉村 春子 その2
2011年9月21日水曜日
杉村 春子 その1
2011年8月16日火曜日
アンドレ・プレヴィン 思い出話 2
もう一つだけ。
「いつも上天気」でプレヴィンは、作曲とオーケストラの指揮を担当していた。完成後、MGMはマスコミを集め、(サルバーグ・ビル?)地下の映写室で試写会を行った (この映写室は椅子の座り心地がとても良く、「二流客船の一等ラウンジくらい」???だったという)。
集まったのは、ライフ、タイム、ニューズウイーク、ルック、ニューヨーク・タイムズ、サタデイ・イヴニング・ポストといったところの記者や批評家たち。カナッ ペとシャンパンが7時から供され、試写開始予定は8時。
7時半過ぎ、人混みをのがれ地上に出たプレヴィンは、サルバーグ・ビル入り口の石段で 一息ついていた。すると、ビルの前に停まったタクシーから、白いドレスの背の高い女性が現れ、足下がおぼつかない様子ながら、プレ ヴィンの居るところまで上がってきた。白の短い手袋をはめ、全体のアンサンブルは、ガーデンパーティでよく見かける、大きなグリーンの帽子でま とめられていた。
女性が近づきその顔を覗いた彼は、たんなる喩えではなく、文字通り「血が凍りついた」。白い装いの女性はダン・デイリーだったのだ。
酔ってご機嫌な彼はプレヴィンに言った、
「ハーイ・・・・・・、一緒に試写室に行きましょう」
「私はとっさに頭のギアをトップに入れ替えた。もしダンがこんな格好で下へ降りて行ったら、彼の役者生命は木っ端みじんに吹っ飛び、新作映画はギターのピックほどにズタズタに切りきざまれ、スタジオは売り飛ばされて駐車場にされてしまうかもしれない。ダンのことは好きだし、役者として、ダンサーとして尊敬もしている。ホモセクシャルというわけではないが、彼に変わった趣味があるという噂はうすうす耳に入っていた。撮影の重圧から解放され、はめを外してちょっと飲み過ぎたんだろう。それでちょっと着てみたんだろう。言ってみれば趣味の問題で、まあ切手集めみたいなもんだ」
プレヴィンは機転を働かせ、ダンに言った。
「あなたを待ってたんだよ、ダン。記者が何人かインタヴューしたがってるんだ。人が少ないところの方が都合が良いんで、あなたをつかまえて、上のオフィスに連れてきてくれるように頼まれたんだ。良いかい?」
上階に連れて行ったプレヴィンはダン・デイリーを最寄りのオフィスに押し込め、「すぐ戻るから」と言い残し、「オリンピック記録を破るほどの」速さで試写室に駆けつけると、ライフ誌の批評家と懇談中だった広報部門の責任者、ビル・ゴールデンを見つけ出します。
「ちょっといいかなビル」
「今はダメだよ」
「ビル、いますぐ、耳に入れておきたいことがあるんだ」
批評家にすまなそうな身振りをしたビルは私の方を向いて、いらだちながら言った。
「ほんとうに大事なことなんだろうな、アンドレ!!」
警告も耳に入らなかったし、笑いを止めることもできなかった。人をかき分け、喘ぎながら、ようやく混み合った部屋を抜けると、ついにこう伝えたのだ。
「ダン・デイリーを上のオフィスに押し込んでおいたんだけど、白いドレスに、ハイヒールを履いて、緑の帽子をかぶってるんだ。これって大事なことに思ってもらえるかな」
ビルは口を開け、トムとジェリーのようにあわてていたが、一見すると、ぼんやりしてタバコを一服しているだけのようだった。
その後はあっけないものだった。ビルは部下を連れてダンを探し出し、冷たいシャワーを浴びさせ、ブラックコーヒーを無理やり飲ませ、衣裳部から持ってきたスーツに着替えさせた。上映が終了する頃にダンは姿を現した。多少シュンとしたところも見受けられたが、こざっぱりとした様子で愛想もよく、遅刻をわびていた。
我々はその後、この出来事を二度と口にすることはなかった。
アンドレ・プレヴィン 思い出話 1
「ラッシー」
スタジオでは作曲家の地位が低く、歯車の一つとしか考えられていなかった、という話の流れの中で・・・・・・・
ある日フリードのオフィスで、制作会議が行われた。
出席者は監督のルーベン・マムーリアン、衣裳デザインのアイリーン・シャラフ、フレッド・アステア、シド・シャリース、アーサー・フリード、それにプレヴィン。(何の映画かすぐわかる)
とても暑い日で廊下との境は開け放してあったが、そこを通りかかったのが名犬ラッシーと調教師。中を覗いた調教師はこのスター犬を皆に見せようと思ったのか、ラッシーに何かささやいた。すると部屋に入ってきたラッシーはフリードの前に座り、片足(手?)を出してご挨拶。一同が声をそろえて褒めそやす中、続いて、マムーリアン、アステア、さらに女性陣へと挨拶は続いた。しかし隣のプレヴィンのところまで来たラッシーは、「冷たい目で品定めをする」と、そのまま部屋を出て行った。
「犬に鼻であしらわれた」と、彼はいたく傷ついたのである。
2011年8月14日日曜日
オフィス

2011年7月24日日曜日
「合成ではない」

今年2月に出版された ”MGM: Hollywood's Greatest Backlot” (「MGM: ハリウッド最高の撮影所」)。
撮影所内の建物の配置から、映画制作に携わる各部門や、食堂(commissary)、理髪店、医務室、学校などの諸施設、通りや常設の野外セットまで、全盛期のMGM撮影所が、多くの写真と短い文章によって紹介されています。
MGMスタジオは第一撮影所から第三撮影所(Lot1~3)まで、大きく三つの区画に分かれていたようですが、われわれに最もなじみのあるのはおそらく第一撮影所---ここにはサルバーグ・ビルや約30のサウンドステージが点在し、昔のMGMの映像として流されるのはこの界隈が多いようです。
サルバーグ・ビル(1942)
黄金時代のMGMというと、まずこのビルの前景がでてきます(現在はソニー・ピクチャーズが所有)。
さて、サウンドステージ内のセットは撮影が終われば壊されるわけですが、5番と6番のサウンドステージのセットだけは常設で、しかもミュージカルと深い関係があります。
劇場です。
ステージと客席、特別席のバルコニーを備えたこの劇場のセットは、MGMの多くのミュージカル映画に利用されています。主なところを挙げてみただけでも、「巨星ジーグフェルド」、「ローズ・マリー」から「美人劇場」、「ジーグフェルド・フォリーズ」、「イースター・パレード」、「巴里のアメリカ人」、「雨に唄えば」、「バンドワゴン」、「絹の靴下」。最後は「ニューヨーク・ニューヨーク」の頃まで利用されていたようです。
この6番サウンドステージの屋上にはMGMの看板が掲げられていたそうなので、おそらくこの建物だろうと思われます。ザッツ・エンタテインメント Part3からキャプチャーしてみました。

5番ステージは隣接した建物ですが、この写真からはどこがそうなのかわかりません。
ところで、サウンドステージの項でたまたま載っていたのがこの写真。
「ロザリー」(1937) 終盤の大プロダクションナンバーのフィナーレ。撮影の様子を、クレーン上のカメラも含めてさらに後上方から俯瞰しています。
以前、エレノア・パウエルの項で、このシーンにはマリオン・デイヴィス版との合成疑惑があると書きましたが、この写真を見る限り、完全にセットを作り、多数のエキストラを集めて撮影されています。
噂は否定して良いようです。