2010年6月8日火曜日

レスリー・キャロン 自伝 その2 「生い立ち」1

 本題に入る前に彼女の生い立ちを簡単に書いておきたいと思います。

 奇妙なことに、この本では彼女の生年月日について全く触れられていません。

「・・・・年に何歳だった」と言う記述はあるので、年齢をまったく秘密にしているわけではないようですが、具体的な生年月日の記載がないのです。

 というわけで、仕方がありませんが、必要なところは他の資料で補いながら書き進めることにします。


 レスリー・キャロンは193171日、パリ近郊のブローニュ=ビヤンクールに生まれます。祖父がいくつもの会社の顧問弁護士をしていたため、生家は使用人を何人も抱え、たいへん裕福だったようです。

 彼女の父親クロードは四人兄弟の三番目。祖父の仕事は兄が引き継ぎ、法律に興味がなかったクロードは、大学で薬学を専攻。最終的には祖父の援助で薬局を経営しながら、研究所も作ってもらい薬の研究も続けていました。独自に考案したビタミン剤や香水なども売っていたようです。

 母親のマーガレットはカンサス州トペカ出身のアメリカ人。幼い頃父親に捨てられ、母と二人、散々苦労を味わった末、最後はシアトルに落ち着きます。ここでバレエを習い始めた彼女は、後にレヴューやヴォードヴィルに参加。’20年代初めには、ブロードウェイへも進出しますが、結局、期待したような成功を収めることができず、シアトルに舞い戻ることとなります。ここでハイスクール時代からの友人であるシアトル銀行の御曹司と結婚したものの、偏狭な地方の社交界になじめなかったのか、彼女の方から離婚。 別れた夫の姉妹にあたる女性とパリへ渡り、そこでクロードと知り合うことになるのです。


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