2008年1月13日日曜日

フレッド・アステア その3 「経歴 2」


 なかなか「簡単に」はまとめきれませんでしたが、

 要するに彼のショービジネスでの人生は次の三つの時期に分けられます。
  1. ヴォードヴィル芸人からミュージカルスターに登りつめた「舞台の時代」(1906年-1933年)

  2. スタジオシステム全盛期のミュージカル黄金時代を駆け抜けた「映画の時代」(1933年-1957年)

  3. 主に演技者としてTVや映画に出演したほか、TVのショー番組も制作した「余生の時代」(1958年-1981年)


 「舞台の時代」のほとんどは姉アデールとのコンビです。この時代は、ダンスの上手さはすでに高い評価を得ていたものの、明るく華やかで機転のきく姉の陰に隠れ、どちらかと言えば目立たない存在だったと言われています。実際アデールが結婚し彼一人になるときは、これまでの地位を維持できるのかとずいぶん悩んだようです。この時代の演技やダンスは映像がほとんど残っておらず、雑誌や新聞の批評から推察するしかありません。

 次の「映画の時代」で特筆すべきは、すでにエレノア・パウエルの項で書いたように、単にミュージカル黄金時代に彼の活躍期が重なったと言うより、アステアの登場そのものが黄金時代を生んだ一因であるということです。ジンジャー・ロジャースとのコンビはまさにハリウッド・ミュージカルのイコンです。さらにその二十五年に近い期間、ミュージカルスターとして常にトップを維持し、最後まで良質の作品に出演し続けたことは驚異と言ってよいでしょう。この時期のすべての作品がビデオやDVDで発売されているのも人気の証です。

 「余生の時代」の始まりは、メジャー各社が財政上の理由からミュージカルの制作に消極的になった時期と一致しますが、年齢的にもダンサーとして引退を考える時期でもありました。ただ1960年に制作されたTVショー「アステア・タイム」を観ても、ダンサーとしていささかも衰えた印象はありません。さすがに、68年の「フィニアンの虹」では年齢による衰えは隠しようがありません。同年のTVショーでもパートナーのバリー・チェイスは、ダンスにそれなりの配慮をしなければならなかったと証言しています。

 このようにアステアは、初期のヴォードヴィル時代を除き、人生の最後までをトップスターとして歩んでいます。しかもその踊りは、単にミュージカル・ダンサーとしての範疇を超え、各界の人々から「神技」とも形容できるほどの賞賛を得ています。亡くなってから後もますます彼のダンスに対する評価が高まっていることは、ダンサーとしての彼がまさに驚異と言ってよい存在だったことを証明しています。


 それでは、このへんでもう一度彼の身体にたち帰り、アステアのダンスの因って来る秘密を探ってみたいと思います。


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