アステア=ロジャースについて考える者は誰も、キャサリン・ヘプバーンのあまりに有名なこの寸評に行き着かざるをえない。内容の的確さと表現の簡潔さのため、あらゆる批評はこの言葉の前にたじろぐ。
「ジンジャーが持っていた品格をアステアが増幅し、アステアが持っていたセックスアピールをジンジャーが増幅しただけ」といった言い換えは単なる言葉の遊びにすぎない。どんな言葉も、結局、ヘプバーンの寸評の周囲をグルグルと廻る羽目になる。だがアステアを語れば、ジンジャー抜きに話を進めることはできない。それほど二人の魅力には抗し難く、その意味も深い。
アステア論のゴールを目指すなら、ジンジャー・ロジャースは通らねばならない関門である。ここはあえてこう言ってみたい。
「たとえ行き着く先は決まっているにしても、旅には道中の楽しみ方がある」
- ジョーン・クロフォード
- ジョーン・フォンテーン
- エレノア・パウエル
- ポーレット・ゴダード
- リタ・ヘイワース
- ジョーン・レスリー
- ルシル・ブレマー
- ジュディ・ガーランド
- ヴェラ・エレン
- ベティ・ハットン
- ジェーン・パウエル
- シド・シャリース
- レスリー・キャロン
- オードリー・ヘプバーン
ジンジャー以外の主だったアステアのお相手を挙げてみた。さてこの人たちと、ジンジャーの何が違うのか。
まずはこの写真から見てみよう。

「艦隊を追って」(1936年)より”Let's Face the Music and Dance”
アステア=ロジャースを象徴する裏のトップナンバー。
このジンジャーの姿を見ていただきたい。壁(柱?)に頭と肩をもたれかけただけの何気ない姿勢にもかかわらず、人生に絶望した女の深い憂いがみごとに表現されている。
上手い・・・・・・・・そう、この人は上手い。日常のさりげない想いを的確に観客に伝える才能と技術をこの人は持っている。しかも美しく。
上手さだけを取り出せば、1949年の「ブロードウェイのバークレイ夫妻」の方が優っているかもしれない。しかし、美しさと若さゆえの生硬さと演技力が微妙なバランスをとったRKO時代がやはり輝いている。場面にふさわしい情感をまなざしと体でみごとに表現する才能は、上記の誰をも凌ぐジンジャー・ロジャースの第一の特質である。
これも同様。

「トップ・ハット」(1935年)から表の代表曲”Cheek to Cheek”
アステアを見つめる眼差しのやわらかさに、思いのたけが伝わってくる。

ちょっと羽飾りが邪魔でわかりにくいが、表情と共にそっと触れあう胸の使い方がうまい。このように自身の輪郭を越えて情感を伝える技能に天性のものがある。
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