2010年10月24日日曜日

ディアナ・ダービン その10 「Little Miss Fix-It 」

 彼女のふるまいを具体的に映画のシーンから見てみましょう。









 「天使の花園」

 これだけでは何だかわからないでしょうが、父親のトレーニングルームに入ったディアナが吊り輪にぶら下がり、正面のカメラに近寄ったり遠ざかったりするところです。アップになったディアナの顔が本当に楽しそうで、演技なのか地なのかさえわかりません。彼女の無邪気さや、動作の自然さが良くわかる場面です。

 監督もこれは使えると思ったのか、他の人々が話をしている場面の背景で、彼女をまだブラブラ揺らしています。
















 第三作「アヴェ・マリア」(”Mad About Music” 1938年)から

  スイスの寄宿学校に入れられたハリウッドの大女優の隠し子がディアナ。父親は有名なハンターだと嘘をついたことがきっかけで、いないはずの父を迎えに駅へ行かされるはめになります。馬車の上で腹をくくった時の様子が上の写真。動いていないとわかりにくいでしょうが、居直ったときの彼女の強さが感じられます。

 この後、駅で出会ったイギリス人の作曲家を強引に父に仕立て上げたのが縁で、母との再会を果たし、母も作曲家と結婚するというハッピーエンドになります。

 歌はもちろん、状況を強引に動かしていくディアナの行動力が楽しめる作品で、これも大ヒット。”Little Miss Fix-It” と呼ばれた彼女のキャラクターが完全に確立されています。


 ちなみに”Miss Fix-It”というのは「困難な状況や問題を巧く解決していく女性」という意味だそうです。 あえて意訳すると ”Little Miss Fix-It”は 「おせっかいお嬢さん」とか「世話焼きお姉ちゃん」といった感じになるのでしょうか。










 「青きダニューヴの夢」(”Spring Parade” 1940年)

 アルプスの村から山羊を売りに市場にやって来た少女が、男と値段の交渉をします。そのやりとりが本当にしたたかで、本物の彼女もこうなのかとつい考えてしまうほどです。どんな役にもリアリティをもたせる複合的な身体の裏付けがあればこそです。

 欧州出身のスタッフのせいか、この時期の彼女の出演作にはヨーロッパに関連した設定が多いようです。


 このように'30年代後半から'40年にかけてのディアナの映画は、いずれもコメディタッチの肩のこらないストーリーに5曲ほどの歌をちりばめた構成で大ヒットを連発。ユニヴァーサルはもちろん、社会的にも大きな影響力を持つ少女スターとしての地位を築きます。

 作品一本あたりの出演料も、「天使の花園」当時の2万ドルから、1940年には30万ドルにまで跳ね上がっています。

 しかし思春期のスターには、必ず乗り越えねばならない宿命と課題があります。


 「成長」です。


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