2010年10月17日日曜日

ディアナ・ダービン その8 「顔」

 このあたりでディアナ・ダービンの魅力について触れたいと思いますが、その前に、これまでも何度か書いてきた「顔」について、もう一度考えてみましょう。

 演劇とは異なる映画に特徴的な機能の一つに、登場人物のクローズアップがあります。このクローズアップによって、芸や技術ではない俳優の生(なま)の魅力---とりわけ「顔の魅力」---が、観客に強く意識されるようになります。この「生の魅力」にひときわ優れた者が、大衆に受け入れられ、スターとしての地位を得ていくのですが、では個々のスターをスターとして特徴づける魅力とはいったい何なのでしょう。

 そこで、この問題を考えるに当たり、際だった特徴を持つスターらしいスターを例にとりながら、その魅力の一端と、さらに顔の魅力の因って来るところを探ってみたいと思います。

 もっとも、説明の根拠は相も変わらぬ私の独断的な直感によってではありますが・・・・・・・・・・。


















まずはマレーネ・ディートリッヒ

上の写真を予断を捨てて見ながら、どんな印象を受けるか考えていただきたい。


 この人の顔を見ていると、まず、全体的にひどく静謐で、落ち着いた、かつ神秘的な雰囲気が醸し出されているのがわかりますが、それだけではありません。見る者に訴えかける「何か」がこの人の目の周囲から強く放射されています。さらにこれと相矛盾するように、見る者を吸引し引き込んでいく力もまた同時に存在しています。

 これがディートリッヒの表情であり、彼女のスターとしての魅力です。

では、この人の顔が持つ構造とはどんなものか。



















 ただのいたずら書きのようですが、これは眼です。ディートリッヒの眼球の意識は実際の眼球の二回りから三回りくらい大きく、それも非常に重い質感をもっています。そのような重量感のある巨大な眼球が頭蓋骨の中に収まっている(様に感じている)のです。その眼球全体を使い、あまり焦点を絞らず見る。それがこの人の世界を見る「見方」です。

 これだけ巨大な重量感のある眼球が、瞳孔に力を集中させることなく存在してると、その重みが横隔膜から腹に流れ落ちていきます。その結果、物事に動じない、非常に深みのある(ように見える)身体ができあがるのです。


 人と人の間には、相互に影響し合う「意識の空間」のようなものが存在します(それが気とかオーラと呼ばれるものかはわかりませんが・・・・)。ディートリッヒの身体は、腹にかかった重みのため、相対する人間にとって、「意識の空間」上では、一種の窪地や穴のような存在になっています。そのため、この人の前に立った(あるいは写真や映画を見た)人は、空間の勾配に沿って、あたかも目の前の穴に転がり落ちるように、引き込まれてしまうのです。

 巨大な眼球(意識)の質量感によって前方に放射される力と、「窪地」である身体によって引き込んで行く力。この相反する二方向の力が同時に存在する「矛盾」が、動的な神秘性として常にこの人を覆っています。

 これがマレーネ・ディートリッヒのごく大まかな顔と身体の(意識上の)構造です。


次はグレタ・ガルボ












 この人にもディートリッヒと同様に体の下方に重みが落ち、その結果相手を引き込んでいく構造が認められます。しかしガルボにはディートリッヒの様な巨大な眼球は存在しません。それとはまったく別な、彼女に特徴的な顔の仕組みがあるのです。



















 ガルボの眼球の下縁あたりには、かなりの重量感が感じられます。この重みは外にあふれ出し、水平方向より下方45度くらいの角度に向けられた「何か」となって、見る者に常に放射されます。視線がどちらに向いているとか、どちらに向けられたかとは関係のない、この人の持って生まれた顔の構造です。この放射によって、ガルボに相対すると、互いの物理的な位置関係がどうあれ、常に斜め上から見降ろされている---相対する者からすれば常にガルボを見上げている---関係ができあがります。

 これこそが誰もが抱く彼女の「神聖」さの源です。


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