2010年10月14日木曜日

ディアナ・ダービン その7 「大当たり」







「天使の花園」、チャールズ・ウィニンガーと。

MGMではうらぶれた役の多いウィニンガーもユニヴァーサルでは大金持ち





 物語は・・・・・・・

 十年前に両親が離婚し、母親とスイスで暮らす三姉妹。父(チャールズ・ウィニンガー)と財産目当ての女との結婚話を悲しむ母を見かねてアメリカに渡った三人が、結婚の邪魔をし、最後は両親を元の鞘に収めるというコメディー。ディアナは末娘のペニー。


 撮影が進むにつれ、ディアナの自然な演技や輝くような笑顔、年齢に似合わぬ深みのある歌声の魅力が明らかになります。そのため、当初、次女中心だったストーリーが末娘中心に変更され、映画の初めと終わりはディアナのクローズアップで締めています。 変更のせいか、途中で次女のエピソードが続くなどやや不自然な構成ですが、それでもテンポの良い楽しい作品に仕上がっています。

 最終的な制作費319千ドルに対し、公開後は誰もの予想を覆す大ヒット(興行収入160万ドル)。財政難のユニヴァーサルにとって、ディアナ・ダービンという少女が貴重な財産であることが明らかになります。


 ユニヴァーサルはさっそく彼女を主演に、同じ陣容で第二作「オーケストラの少女」(”One Hundred Men and a Girl” 1937年)の制作にとりかかります。観客が求める「明るく素直な少女が、困難な状況を解決しようと走り回り、失敗もするが、それを乗り越えハッピーエンドに終わる」というプロットはそのままに---題名にも前作から引き続き”Girl”を入れている---マンネリを避けるため設定に工夫をこらします。

 大金持ちの一家から貧乏な音楽家の娘に変え、当時有名な指揮者のレオポルド・ストコフスキーを本人役で引っ張り出し、きちんと演技までさせているのです。  撮影所の彼女に掛ける期待と自信は、タイトルクレジットからも明らかです。第二作目にして早くも、ディアナの名前がタイトルの上に置かれています---”Deanna Durbin in One Hundred Men and a Girl”

 結果は、制作費76万ドルに対しアメリカ国内の興行収入だけで227万ドル。世界中で大ヒットしたこの映画でディアナは、単なる少女俳優から本物のスターになったのです。


 スタジオは以後もパステルナークに彼女の作品をプロデュースさせ、年間2本のペースで封切っていきます。映画はいずれもヒットし、ユニヴァーサルの屋台骨を支えます。 フィルム賃貸時の撮影所の取り分が通常25%のところ、彼女の作品に関しては35%1939年、雑誌「フォーチュン」に載った記事によると、1938年にユニヴァーサルから公開された映画全体の収益の17%は、ディアナのたった2本の主演作でまかなわれ、

「この業績の悪い撮影所をダービン一人で破産から救ったとハリウッドでは考えられている」

のでした。

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