2009年11月16日月曜日

ちあきなおみ その10 「 演じる 」

 ちあきなおみの歌唱の素晴らしさの理由の一つに、「演技」の上手さがあるとはよく言われる。他の歌手が歌詞に感情的な肉付けをする段階にとどまっているのに対し、彼女は広がりを持ったドラマ空間を作り上げる。


 空間を作り上げる手法はさまざまである。


 視線や目配りを駆使し、想像上の対象をあたかもそこにいるかのように現出させる。相手との物理的距離が明らかになり、心理的距離さえ感じられる。

 舞台に現れたその身体を見るだけで、世界に対するその人の立ち位置---人生に疲れ冷め切ったような虚無感や、目の前の現実に誠実に関与しようとするけなげさ---がわかる。ドラマ空間の奥行きが生み出される。


 作り上げられた空間が眼前に現れると、あたかもスクリーンに映し出された映画を観るように、観客は引き込まれていく。「夜へ急ぐ人」で「おいでおいで」と演者から観客に切り込んでいくのとは反対方向に、「演者-観客」関係の意識の流れが生まれるのである。


 しかもその途中に様々な「ちあきなおみ」の位相が現れる。ある時は「歌詞に没入する歌手ちあきなおみ」であり、見得を切るように客席やカメラを向く時は「歌詞から少し離れた歌手ちあきなおみ」が前面に現れる。もちろんそこには、素の彼女自身や「素の歌手ちあきなおみ」も透けて見える。

 

 変幻自在である。


 次の映像を観てほしい。





 演じる歌の代表、「ねえあんた」


 映像として見ることができる別ヴァージョンに、NHK版(平成4年収録)があるが、比べてみると女性の表現方法がかなり違う。

 上の「誰でもピカソ」版の女性が、けなげな中にもどこか人生をあきらめた冷ややかさを湛えているのに対し、NHK版ではあくまで純真で悲しい。それぞれに良さがある。


 「誰でもピカソ」版の収録時期は不明である(番組を観た人はわかっているのかもしれないが)。NHK版は彼女の活動休止と同年なので、「誰でもピカソ」版がNHK版より収録が後という可能性は低いだろうが、仮にそうだとしても、片方からもう片方に表現を変えていったのか、あるいは状況に合わせ異なった表現法を取ったのかはわからない。

 どちらにしろ、同じ曲にほぼ同レベルの違った表現法をとれるという彼女の多彩な演技力には舌を巻かざるを得ない。


 ここで使われているテクニックは、頭の中の想像上の意識のポイントと目との距離をどう取るかという方法である。詳述は避けるが、目とポイントの距離が近ければ純真さが、遠ければ冷めた印象が強まる。


 仮に舞台とスタジオ(?)の広さの違いを理由に演じ分けたのだとしたら、それはそれでまた空恐ろしいことである。



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