2010年1月17日日曜日

ジュディ・ガーランド その10 「貫禄」
















”For Me and My Gal”(1942)より”After You've Gone”


 ジュディ・ガーランドの歌声が「上方へ進展する伸びやかさ」から「下方に向かう深み」を中心とした大人の歌に変化した時期を特定することはなかなか難しいのですが、おおよそ、「青春一座」(1939)以降徐々に進行し、”For Me and My Gal”(1942)のあたりで完成されたと思われます。このように変わっていった原因が、成長に伴う心身の変化なのか、ロジャー・イーデンスらの指導によるものなのかは明らかではありませんが、この変貌により彼女は、歌を手段に役の内面をより深く表現できる歌手となっていきます。

 さらに1944年の「若草の頃」や「ジーグフェルド・フォリーズ」(撮影は同年7月)になると、歌の重心がより下方に移動して安定するばかりか、声の質自体も、それ以前の軽やかさからエネルギーの充実した力強さに変化しています。ジュディの歌は当然その後も変わってはいきますが、彼女の歌唱の原型はこの頃にほぼ確立されたと思われます。

 このような変化と同時に、少女期のジュディの特徴であった「足腰による大地のとらえ」が弱くなっていきますが、これは声の響きが上昇型から下降型に推移したためのある意味しかたのない変化かもしれません。ただしこの変化は、後年彼女の衰弱と共にかなりデフォルメされた形で現れることになります。









”Thousands Cheer”(1943)より”The Joint Is Really Jumpin' Down at Carnegie Hall”




 さらにこの変化と対になって、1943年以降の”Girl Crazy”や”Thousands Cheer”ではその身体に一種の「貫禄」さえ見て取ることができます。このため”Girl Crazy”では、すでにミッキー・ルーニーとの釣り合いがとれなくなっています。

 ミッキーが思春期のはつらつさを失い、いくぶん「とっちゃん坊や」化しているのに対し、彼女が美しさと存在感を増したため、「突っ走るミッキー」と「脇で支えるジュディ」の構造が成り立ちません。 ドラマの設定自体、いわゆる「裏庭ミュージカル」とは異なっていますが、容貌も含めた二人の身体の落差が大きくなり、すでにこれまでのミッキー=ジュディ コンビの枠組みを維持できなくなって来ています。ミッキー・ルーニーの人気凋落という事実も含め、後年の”Words and Music”を除いて二人の共演がこれで最後になったのも致し方ないのかもしれません。

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