1942年、"Presenting Lily Mars” 撮影と同時期。
彼女の美しさが最も輝いていた頃です。
1939年から1945年までの6年間は、ジュディ・ガーランドにとってMGM在籍期間中の第二期と言えます。この間に彼女は、「オズの魔法使い」までの少女らしさを脱し、美しい大人の女性へと変身していきます。
その変貌に対する驚きは、当時の雑誌に「醜いアヒルの子から白鳥に」と言う表現がそのまま使われていることでも、うかがい知ることができるでしょう。その過程で、彼女の人気は一層高まり、「稼げるスター」としての信用も得て、スタジオ内での存在感はいやが上にも大きくなっていきます。
この第二期をさらに、「青春一座」(1939)から”For Me and My Gal”(1942)までの時期と、1943年の"Presenting Lily Mars”(1942年撮影)から1946年の”The Harvey Girls”(1945年撮影)あたりまでの二つに分けるのが適当ではないかと私は考えています。
このように分類する第一の理由は、その前半が少女期を脱し美しさを増していく上り坂の過程であるのに対し、後半はジュディの美しさが---当然スターとしての価値も---その生涯において最も輝いた時期と言えることです。第二の理由は、必ずしもこの二つの時期の間に明瞭な境界があるわけではありませんが、彼女の歌声が「上方への伸び」優位から「下方への伸び」優位に変化し、大人の歌い手として成熟する過程に対応していることです。
「歌の上手さ」にはさまざまな要素が絡んでくるので一概には言えませんが、上手さを背後から支える「身体構造としてのすばらしさ」という意味では、1940年代前半はジュディの人生において最も条件の良かった時期ではないかと考えています。
他方、この期間は、薬物への依存がより激しくなるとともに、精神的にも不安定さが目立ち、撮影にも支障が出始める時期でもあります。
遅刻や早退、欠勤や「すっぽかし」、さらには出勤しても控え室に閉じこもり撮影に参加しないなどのトラブルが年を経るほどに頻発。その結果、撮影期間が延び、制作費を押し上げる要因の一つとなります。それでも許されたのは、制作費の二倍から四倍近い興行収入を産みだす、彼女の高い人気があったからなのです。
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