2010年11月10日水曜日

ディアナ・ダービン その15 「反抗 」

 ”It Started with Eve” が封切られた'41年10月以降、ディアナは家に閉じこもり、ユニヴァーサルの要請に一切応じなくなります。突然の結婚に続く第二の反抗です。

 反抗の理由は、以前からくすぶっていた不満にありました。”Little Miss Fix-It”と呼ばれた役柄に飽きたらず、シリアスな題材で年齢相応の人物を演じたいと希望したにもかかわらず、撮影所から作品の企画や役柄について何の相談もなかったことです。加えて、年二本の撮影ペースでは子供を作る余裕もないとの心配もあったようです。

 ディアナの態度は予想以上に強硬で、彼女の主演作は'42年には一本も封切られないことになります。稼ぎ頭のストライキが長引くにつれ、当初は高をくくっていた撮影所も、本腰を入れて交渉に当たらざるを得なくなります。その結果、企画や役柄には彼女の了承を得ることで両者は妥協。ようやく新たな作品の撮影に入ります。 当時ハリウッドにいたジャン・ルノワールを監督に迎えた「海を渡る唄」(”The Amazing Mrs.Holliday” 1943年)です。

 ところが、大監督の起用と新たな役柄に期待が集まったものの、脚本の不備などからルノワールは途中で降板。ブルース・マニングが代役を務めて映画を完成させます。できあがった作品は、ファンの間では「”大ダービン日照り” は終わった!!」と歓迎されたものの、批評家の評価も低く、内容も役柄も前作より後退した印象は否めません。結局次の二作は、元の路線に戻ったかのような「天使の花園」シリーズの最終作”Hers to Hold”、そして明るい彼女の歌が楽しめるコメディ、「春の序曲」(”His Butler's sister” 1943年)となります。観客は歓び、ヒットにスタジオも満足しますが、彼女の不満は再び高まっていきます。

 追い打ちをかけるように、夫との行き違いも大きくなり、1943年12月、ついに二人は離婚に至るのです。

















離婚法廷でのディアナ

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