2010年11月23日火曜日

ディアナ・ダービン その20 「Can't Help Singing--歌わずにはいられない」
















旅の途中、風呂桶の中でタイトルソングを歌うディアナさん

そういうわけで、非常にふくよかである

体型に関する感覚が今日とは異なる当時においてすら、太りすぎではという声が多くなっていきます


 ディアナ・ダービンの出演作を通して観ていると、果たして彼女の映画はミュージカルなのかと疑問に思うことがあります。もちろん” Can't Help Singing”や”Up in Central Park”1948年)のような「本格的な」ミュージカルも存在します。こういった作品では、それまで普通にしゃべっていた登場人物が、会話の文脈と感情の流れに乗って「突然歌い出す」という、典型的なミュージカルの手法が使われています。ダンスの場面もあります。

 しかしほとんどの作品で彼女が歌うのは、演奏会やパーティー、ナイトクラブ、家族に歌を聞かせるなど、何らかの「歌う理由」をストーリーの流れの中に設定されてのことです。その意味では、それなりの必然性を備えています。けして彼女は「突然歌い出し」てはいません。ただ、歌う設定が少しばかり強引に作り上げられ、彼女の歌を「とにかく聴かせ」ようとする点をとらえれば、「突然に歌い出すと言えなくもない」だけです。


 私たちがミュージカルと「思っている」映画の中での歌の使われ方を考えてみると、おおよそ次の三つに分けられると思われます。一つは、ドラマの部分で、場面の緊張や登場人物の感情が何らかの意味で高まったときに、その状態が歌としてさらに展開されていく場合。二番目は、舞台や映画撮影、ナイトクラブなどのショーの場面として歌われる場合。三番目は、一番目、二番目の意味を多少は含みながらも、「とにかく歌う」場合---プレスリーの一連の作品などいわゆる「歌謡映画」が当てはまると思われます。

 彼女の歌はミュージカルに中核的な歌の使用法と思われる第一の場合---「場面の緊張や感情の高ぶりを有機的に歌に発展させる」---の要素が非常に希薄です。 そのほとんどは、第二の場合を含みながらも、どちらかというと第三の場合に近いものです。観客はとにかくディアナ・ダービンの歌を聴きたがっています。その観客の欲求に沿うかたちで、映画の中に歌う設定を少しばかり強引に作り上げ、「とにかく聴かせ」ていくのです。歌がストーリーを邪魔しているとまでは言わないが、本来別に無くてもかまわない。それでも観客は彼女の歌を聞き満足する---そういった点でディアナの映画は、ミュージカルの一種ではあっても、歌を聞きたい観客のために歌う機会を設定していった歌謡映画的な色彩が濃いと思われます。


 人気歌手が主演した映画ならいざ知らず、本来映画スターであるディアナの出演作が歌謡映画的になってしまうところに、この人の歌うスターとしての特異性があるのです。


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