2010年11月17日水曜日

ディアナ・ダービン その18 「ノワール」



















 セクシーな大人の役を演じたいというディアナの要求はますます強まり、スタジオもこれを無視することができなくなります。ついに'43年末、ユニヴァーサルは声明を発表。「彼女の映画は方向を転換するので、今後はミュージカルコメディでなく、ドラマティックな役柄のディアナに期待してほしい」と宣言します。声明の責任者はフェリックス・ジャクソン。パステルナーク以降、彼女の多くの作品をプロデュースし、後に二番目の夫となった人物です。

 その結果制作されたのがフィルム・ノワール、「クリスマスの休暇」(”Christmas Holiday” 1944年)。監督ロバート・シオドマーク、相手役はジーン・ケリー。

 嵐のためニューオリンズに足止めを食った若い中尉が、ナイトクラブのホステス(ディアナ)から過去を聞かされるというオーソドックスなスタイル。 まだ純真だった彼女が出会うのが南部の旧家出身のケリー。結婚した彼女は、夫の激高しやすい性格や母親との強い結びつきを知ることとなります。夫の起こした殺人事件を母親と一緒に隠蔽しようとしますが、夫は逮捕され刑務所へ。母親から事件はディアナのせいとなじられ、自分を責めるかのようにナイトクラブの女に身を落とします。最後は脱獄したケリーが警官に撃たれ、駆け寄った彼女の悲しみの顔のクローズアップ。

 ディアナはこれまでのイメージを一新します。ナイトクラブといっても、場合によっては客と寝るような店の設定。濃い化粧に胸の大きく開いたドレス、暗く厭世的な表情や歌声。夫の行動に猜疑心を抱き、泣き、母親には頬を叩かれるといった激しい演技。後に彼女は、全出演作の中でこの映画を一番気に入っていると語っています。

 たしかに彼女の立場に立てば、この役は演じ甲斐があったのかもしれません。しかしはっきり言って、ディアナにこういう役は似合いません。フィルム・ノワールのヒロインに必要な「鋭い美貌」がないからです。肉付きの良い彼女の顔は、濃い化粧でかえって奇妙になってしまいます。男を深みに引きずり込む危うさもありません。俳優の顔にわれわれが抱くイメージは複合的ですが、彼女の顔からまず浮かび上がるのは、誠実さや地に足のついた確かさです。彼女自身の思惑とは違い、ディアナ・ダービンのセクシーさは、この種の映画に必要なそれとはレベルを異にしています。彼女のセクシーさは日常的な設定の中で意味を持つセクシーさなのです
















 加えて残念なのは、他社に一度も貸し出されることの無かった彼女にとって、これがジーン・ケリーとの一度だけの共演であったことです。作品の良し悪しは別にして、何もケリーとの唯一の共演がフィルム・ノワールでなくても良かったのではないか。変なたとえで申し訳ないが、互いに自分の宏壮な邸宅を持つもの同士が、門番の小屋で逢い引きをしているようなものです。たまには変わった所で会うのも良いのかもしれないが、もっと適当な場所がいくらでもあったはずです。二人が本来持っていたスタイルを上手く融合したミュージカルが作れていれば、また違った彼女の未来が開けていたかもしれません。惜しいことですが、出会った時期も悪かったし、ユニバーサルにもそれだけの力がなかったと言うことでしょう。

 当時の観客も同様だったようです。

 いくらスタジオからの声明があったとはいえ、ディアナ主演で相手は「カバー・ガール」が封切られたばかりのジーン・ケリー、題名が ”Christmas Holiday” とくれば、つい楽しいミュージカルを期待してしまいます。映画を観て、驚き反感を持ったファンの抗議がスタジオに殺到。映画の不評は再び針をミュージカルコメディに振り戻していきます。

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