アステアは撮影前の数ヶ月を除き、一切踊りの練習をしないという。娘のアヴァも同様の証言をしている。もちろん、隠れて稽古をしている可能性もあるのでそ のまま鵜呑みにはできないが、仮に本当なら、アステア自身の身体に対する考え方を知る上でかなり興味深い出来事である。
普通、一流のダンサーやバレリーナは、公演予定の有無にかかわらず、ほぼ毎日稽古を続けているのではないだろうか。稽古を続ける目的はダンサーの年齢や成 長段階によっても異なるが、一般には筋肉の増強や維持、関節その他の柔軟性の確保および技術の獲得のためと考えられる。言い方を変えると、稽古を怠れば筋 力は落ち、柔軟性を失い、技術は衰える。それでは、あの稽古熱心で完璧主義者のアステアがどうして稽古を続けないのか。
一般に人間の身体活動の訓練は種目それぞれの必要度によって要求される内容も水準も異なっている。極端な話、体を鍛えるからといって、ダンサーが重量挙げ の選手と同じトレーニングはしない。ダンサーにはダンサーの、必要な筋肉量とその運用法がおのずと決まっているからである。
同じことはダンスの 分野同士にも、さらに同じ分野内のダンサー間にもあてはまる。 確かに高い跳躍力や柔軟性を要求されるバレエやショーダンスの踊り手なら毎日の訓練は必要 だろう。しかしさほどの跳躍力も柔軟性も必要なく、ごく自然な日常生活の動きの延長が要求される踊りの範疇があるとしたらどうか。
「アステアというスタイル」であったなら。
一般的なダンスのトレーニングが、不要な筋力を付け天性の軽やかさを阻害する諸刃の剣だということに、彼は気づいていたのではないか。だとしたら、悪影響を与える稽古はやらない方がましである。
しかし、本当にアステアは稽古をしていなかったのか(隠れてという意味ではない)。
「アステア ザ・ダンサー」にはMGMの「新人」ダンサー、ボブ・フォッシーの語るアステアのエピソードが紹介されている。
ある昼下がり、人通りのないMGMの大通りでフォッシーは向こうから歩いてくるアステアに 出くわす。
「・・・・・歩き方からすぐそれがフレッドだとわかった。彼はうつ向いたままぼくの方に歩い てきた。・・・・・・・・・ついにお互いが近づいた。お互いがすれ違う時、彼は顔を上げずに 『やあ、フォス』といったんだ。ぼくをそう呼んだんだ、フォスとね。彼はそのまま歩き続け、ぼ くは振り返って彼が去るのを見た、彼から目を離せなかったんだ。道に大工の使った曲がっ たクギがあった。フレッドは足で軽くはじき、サウンド・ステージの壁に飛ばすと、クギはカチ ンと音をたてて壁にあたり落ちた。あれは正しくアステアのジェスチャーだ。」(武市好古 訳)
よく似たスタンリー・ドーネンの目撃談が”ALL HIS JAZZ; THE LIFE AND DEATH OF BOB FOSSE ”にもある。
地面に落ちた板から突き出たクギを、歩いていたアステアは一歩わきへよけ、突然それを 蹴りつけた。すぐ後ろにいたフォッシーはこの姿をまね、アステアがいなくなってから、その 場で唐突な横移動と蹴りがうまくできるようになるまで何度も繰り返した。
ケリー嫌いでアステア崇拝者のフォッシーの逸話からわかる事がある。
アステアは普段の立ち居振る舞いからして、彼に特徴的な動きをしていた。
その動きはフォッシーを陶然とさせるとともに、何度も稽古をしなくてはいけないレベルのものだった。
アステアの歩く姿がすでに普段のダンスと同レベルであったと言うことは、歩くことで稽古と変わらぬことができていたとも考えられる。これにはこれまで書い てきた、骨を中核に全身を連動させたアステアの動きが関わっている。彼にとって稽古とは余分な力みをつけずに技術だけを育てて行くという繊細な作業であっ た。なまじ常識的な稽古を続けるより、日常生活の中の普通の動き・・・・・・・歩く、飛び退く、蹴る、つかむ、ゴルフ、馬・・・・・でしか磨けない 技があるのだ。日常の動作でダンスに必要な体の動きと身体感覚を養っているアステアには、撮影前の稽古はあくまで振り付けられたルーチンを完璧にこな すための目的でしかない。
アステアは鍛えない。
そして鍛えないように鍛える。
2 件のコメント:
OmHayashi様の驚異的な分析力にいつも感服しています。小澤博幸と申します。タップ・ダンスにあこがれて、52歳から丸2年レッスンに通い、今は都合により休んでいます。アステアが好きで、DVD20種ほど集めていますが、ジーン・ケリーも徐々に好きになってきて、すこしずつ集めている55歳です。
武術の研究家甲野善紀さんの講義に2年ほど前に参加しました。甲野さんは、常に新しい技を工夫し続けているようですが、その日は海難救助の新しい方法を思いついたばかりで、その技を目の前で実演して見せました。床に座っている人を、遭難者に見立てて、次々に「ひっぱりあげ」ていくのですが、人が面白いようにポンポンと陸にひきあげられていくのが、とても不思議でした。
その甲野さんは、著書の中で、武術には準備体操はない、と書いてあったように思います。襲い掛かられた時に、準備体操をしてから闘うわけにはいきません。だから、すぐに闘える体にしておくわけです。つまりOmuHayashiさんのおっしゃる「鍛えないように鍛える」のです。
OmuHayashiさんの分析は、すごい、です。
今後ともよろしくお願いいたします。
小澤博幸さん、今晩は。
(私の名に様を付けていただいておいて申し訳ないのですが、堅苦しくなるので、ここでは「さん」で統一させていただいています)
いつもお読みいただきありがとうございます。
私もタップを習おうかと思ったこともありましたが、時間もないのと、今から習っても大して上手くならないだろうなどと考えて、結局断念しました。
というわけで、技術的なことについて勉強する機会がなく、今でもさっぱりわかりません。
私は元来武道好きな人間なので、「アステアとケリーを武術に置き換えたら」などというつまらないことを考えてしまいます。
体術ならお互い好い勝負になるが、剣術なら確実にケリーの方が斬られてしまうというのが私の考えです。
ではまた。
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