2008年3月11日火曜日

ご挨拶

 長らくご愛読いただきました「踊る大ハリウッド」も、このへんでいったん終了とさせていただきます。

 平成18年10月からの一年半にわたり、さまざまなご声援、ご意見を頂き有り難うございました。当初からたいした計画もなく、日頃ビデオやDVDを見て考えたことを文章にできればと軽い気持ちで始めたものです。しいて言えばジーン・ケリーで始めてアステアで終われればよいと思ったことが計画といえば計画なのかもしれません。そう言う意味では最後に何とか平仄を合わせ、形だけは首尾一貫することができました。

 勝手なことを書いているようですが、これでも資料を読んでまとめるのはなかなか大変なことです。とくにミュージカルに関する重要な著作はほとんど英語なので、私の英語力では時間がかかって負担になります。そういうことも含めこれからしばらく勉強しなおしたいと思います。

 今から十五年くらい前なら、ネット上で自分の考えを公表するなど夢にも考えなかったでしょう。自分の頭の中だけで消えてしまうはずのことが、少数であれ人様の目に触れる機会を作れたというのも時代の幸運かもしれません。一年半の年月のわりに大した分量ではありませんが、一般には語られていないようなことも書け、自分で読んでもなかなか面白いと自画自賛できたのがわずかな救いです。

 また何かの機会に書き始めることもあるかもしれませんが、ひとまずここでお別れをさせていただきます。


ではいずれまた。


OmuHayashi 


フレッド・アステア その19 「最後に」

 なんだかまとまりのない文章になったが、アステアについての論考もこのへんで終わりにしなければならない。

 アステアのダンスはそのパフォーマンス全体の効果に占める質感の割合が他のダンサーに較べて極端に大きいという特殊性をもっている。このため、他のダンサーとの直接の比較が困難になり、結果としてダンサー間の優劣争いから隔離されかつ擁護されるという特異な存在になった。

 最終的に「アステアは上手いのか」との問いには、「比較する階層が違うので比べられない」という答えになってしまう。

だがこれだけは言える。

アステアのダンスは彼一人だけの比類のないジャンルであること。

そして


「そのジャンルの堅牢さにおいて誰も並び立つものはいない」


フレッド・アステア その18 「上手い?」-4

 ここでもアステアはその身体的特性と同様、他に類を見ない孤立したジャンルの人である。運動能力としての動きは飛びぬけて優れているわけではない。しかしその力みのない動きからは、まるで振動が極端に細かくなって観客の脳と身体に直接浸透してくるような波動が生まれる。

 常に上昇するベクトルは見る者を揺り動かし、あたかも広大な愛のヴェールで観客を包み共に上昇して行く神の救済のようである。この類まれな質感の極まりこそがアステアの動きを常に裏側から支え「上手さ」を形作る本質ではないか。

 アステアはバレエなど他分野の踊り手から賞賛されることが多い。高い身体能力に裏打ちされたものなら反感や嫉妬も生まれようが、この質感はどれほど優れたバレエダンサーにもまねできず、まして競合もしない。

 自分と同一平面で勝負していない相手に対しては人間素直になれるものである。

 バレエのギエムやマラーホフといった人々と比べアステアが優れているのかという問いへの解答はそういうわけで難しい。比較する階層が違うからである。あえてダンサーとしての身体能力と技術、それによって表現される芸術性ということのみに絞れば、彼らの方が優れているのかもしれない。



 しかし同じような人が今後現れるかという再現性の問題になると話は違ってくる。ギエムがどんなにすばらしくても百年に一人くらいは同じレベルの人が現れるだろう。それはバレエを学ぶ基礎人口がこれだけあり、訓練の方法が完成されているからである。つまり彼女はバレエの訓練の延長線上で優れている人に過ぎない。ミュージカルの踊り手でも話は同様である。

 しかしアステアはどうか。現在のミュージカルやショーダンスの鍛錬や要求内容の延長線上にアステアの身体は存在しない(昔も同様だったのかもしれないが)。再来は偶然を待つしかないのである。

 そこを考えるとスタジオシステム全盛期にどうして彼の活躍期がスッポリ収まったのか、その偶然は謎としか言えない。


2008年3月10日月曜日

フレッド・アステア その17 「上手い?」-3

 管見しただけでもこれだけいるのだから、身体能力と芸術性を一定レベル以上に兼備えたダンサーの数は見当もつかない。こういったレベルのダンサーを上手さを考える上でまず第一のカテゴリーとして分類してみたい。

 上手さには別のカテゴリーに分類せざるを得ないものもある。

 当ブログを書き始めた頃に触れたシルヴィ・ギエムのパフォーマンスである。ただ立っているだけで、観客に直接情念で語りかけてくるような圧倒的な伝達力。 ギエムはもちろん卓越した身体能力も持っているが、時にはこのような能力も見せてくれる。同じ範疇にはいる人物に能の友枝喜久夫がいる。

 こういう人々の踊りでは基本的に動きはごく少ない。もっと言えば、動きは邪魔になる。このカテゴリーはいわゆる名人の領域なので、人数としてそう多くはないが、上手さを考える上で落としてはならない。

 ではわれらがアステアはどうか。第一のカテゴリーを基準に考えると、飛んだり跳ねたりの身体能力の点でまず落第ということになる。本人に元々その気がなかったのかもしれないが、回転数や高さで表される身体能力と、その能力に裏打ちされた技術の点で、彼らに到底およばない。明らかにこのカテゴリーの人ではない。

 では第二のカテゴリーではどうか。

 日常の立ち居振る舞いからして観る者を魅了するところは一見似ているようだが、アステアは不動だとか動きが不要なわけではない。たとえわずかな動きであってもそれが観客を魅了し、かつ動きが邪魔にならない点において大きく異なっている。

 さらに、第二のカテゴリーにおいて伝えられる情念は常に凝縮され、観客はそのエネルギーに見合うだけの緊張と疲労を強いられるのに対し、アステアの伝えるものはあまりに明るく拡散し、観客はうっとりと安らぐばかりである。


フレッド・アステア その16 「上手い?」-2

 さて、下らないと思われるかもしれないが、私はミュージカル映画のダンスがオリンピック種目だったら誰が優勝するだろうと考えることがある。芸術的要素の入った競技だから、ちょうどフィギュア・スケートやシンクロナイズド・スイミングと同じように、技術点と芸術点の両方で採点されることになるだろう。そうなると当然、ジャンプやスピンのための高い身体能力と芸術性をバランス良く備えたダンサーが優勝することになる。そこを考えると、男性ではニコラスブラザースが断トツの一位になるのではないかと思う。

 多用するスプリットはいささか鼻につき、兄のフェイヤードが言うほど優雅で品があるとも思わないが、その驚嘆すべき中心軸の安定とジャンプ力、両手と体幹を連動させた独特の表現力はやはり賞賛せざるを得ない。

 彼らが一位とすると、その後を追うのは誰か。三十代のジーン・ケリーではいささか荷が重いので、二番手はトミー・ロールやボブ・フォッシーあたりを考えるのが妥当なのだろうか。しかしこれはいわゆる「おなじみ」の中から選んだ場合であって、「ちょっとだけ出ている」人まで範囲を広げると話は変わってくる。誰が一番とは言わないが、身体能力と上手さを兼ね備えた人はそれこそたくさんいるからである。

 たとえばエレノア・パウエル主演の ”Lady Be Good” (1941) にゲストとして出てくる黒人三人組のベリーブラザース。アクロバットと言ってしまえばそれまでだが、ジャンプして相棒の首に両足で絡みついたり、自分の前に立てたステッキが倒れない内に、スピン一回転と両足のスプリットから立ち上がるまでを行う身体能力には唖然とする。

 リタ・ヘイワースの「今宵よ永遠に」(1945)は「ヘンダーソン夫人の贈り物」(2005)と同じ題材を踊り子の側から描いたミュージカルだが、二人の素晴らしいダンサーが登場する。一人は当時バレエ・リュス・ド・モンテカルロ のスターだったマーク・プラット。もう一人はキャロル・ヘイニーの項で少し触れた振付家のジャック・コールである。



 マーク・プラットは冒頭一座への入団シーンで、ラジオから流れる様々なジャンルの音楽に合わせ、これまた様々なダンスを見せてくれる。ジャズをバックにしても、いささかバレエ臭さはあるものの、みごとにスイングし、訓練しきった身体の素晴らしさを堪能させてくれる。

 一方のジャック・コールは、プロダクションナンバーの一つでリタ・ヘイワースと絡み、かなり長めに踊っている。リタがメインであるから、当然ジャック・コールは彼女に合わせ、力をセーブしている。それでも垣間見られる鋼のようなバネと力を抑えたことで生まれる一種の軽みが、不思議な凄みを醸しだし、「本気で踊ったらどれほど素晴らしいのか」と観る者に期待を抱かさせずにはおかない。

 

フレッド・アステア その15 「上手い?」-1

「フレッド・アステアは上手いのか?」

と書けば、「何をいまさら」と怒られるかもしれない。確かにアステアのダンスを評するには、「上手い」とか「すばらしい」という言葉以外見当たらない。「上手くないと思っているのか」と反問されれば、やはり「上手いです」と答えざるをえない。

 でも、「上手い」というのは他に適当な言葉がないからそう表現するだけであって、「皆が誉めているアステアの素晴らしさは、単なる上手さとは実は少し違うところを指しているのではないのか」というのが正直な気持ちである。この「単なる上手さではないが上手いとしか言いようのない」ところをなんとか言葉にできないか。それがこの項の目的である。

 アステアが当時にあってそれぞれのダンスの分野でナンバーワンであったかというと必ずしもそうではない。たとえば、ヴォードヴィルの百科事典”Vaudeville, Old and New: An Encyclopedia of Variety Performers in America ” で著者は、タップやボールルームダンスにおいて当時のダンサーたちが彼を最高の踊り手とは考えていなかったと書いている。

 では何に優れていたのか。

 アステアは男女二人の踊りがたんなる身体運動ではないことに気づき、二人の性格や様々な感情が観客や批評家に理解し納得できるようなダンスをした。他のダンサーはどうか。たとえばタップダンスなら、鋭いリズム感や歯切れの良さ、速さ、エレガントな姿、さらにはステップの組み合わせの斬新さなどに気を配り、プロ同士の評価を優先させていたという。

 また具体的なテクニックとしてアステアは、タップやボールルームダンス、アクロバット、プロップ等の様々な要素を取り入れ、混ぜ合わせるとともに、一つのダンスの中でスタイルやテンポを何度か変え、観る者を退屈させないようにした。

 これがアステアをして他の追随を許さない評価を得さしめた理由だという。

 「観客や批評家に理解できるダンス」には「なるほど」と納得しながらも、これは「上手さ」を同じ平面で少しずらしただけのことを語っているように思える。つまり踊り方の戦術や戦略みたいなものであって、私が冒頭で掲げた疑問にたいする答えとして期待するものとは少し違う----そう思えるのである。


2008年2月27日水曜日

フレッド・アステア その14 「ジンジャー 3」

 極めつけはこれ。


上は”Cheek to Cheek”
下は"Dancing in the Dark”のシド・シャリース。


 どちらものけぞりながらアステアに身を任せている体勢。一見似たようだが、微妙にちがう。

 何がちがうか。

 アステアの腕にかかる重みである。どちらも物理的な重みは大して違わないが(・・・・たぶん)、アステアの感覚としてはジンジャーの方が重い。なぜか。ジンジャーの方がより完全に脱力して身を任せているからである。 
 脱力した体の重みは支える者の腕により深く浸透して行く。ぐっすり眠った赤ん坊と、起きているときの赤ん坊を抱いてみれば、その違いがわかる。脱力して任せきった体は、どこかセックスのときの無防備な姿を匂わせ、二人の体は溶け合う。

 シド・シャリースはのけぞるときに頭部の方向に体軸を少し伸ばすような体の使い方をしている。美しく見せるためにはこの方が良いが、結果として体に多少の力が残り、自分自身を支えてしまう。アステアに完全にまかせきることができない。

 シド・シャリースはダンサーとしてジンジャーより訓練された身体を持っている。しかし、訓練された体は自身を最後まで支え続け、結果として相手と溶け合わない。互いの身体は斥け合い、アステア=ロジャースの癒合した体から生まれる、えも言われぬ陶酔感が生まれない。

 訓練されたダンサー同士からは「素晴らしいダンス」は生まれるかもしれないが、観客の胸を直に刺激するエロティシズムに乏しくなる。

 鍛えることの難しさはここにもある。


 ジンジャーにはさらに大きな役割がある。


 ”Cheek to Cheek”を踊り終わった直後の二人。

 この写真一枚ではよく分からないので、DVDでこの場面を見直してほしい。

 二人のダンスに観客は陶然としている。一方、踊り終わってうっとりとした彼女はアステアを見つめる。ダンスにうっとりした観客は、うっとりとしたジンジャーを観ることで映画と同調し、何の違和感もなくその後のストーリー展開へ引き込まれていく。このときのアステアの言動はただ脳天気なだけである。 

 ジンジャーは常に地に足をつけ、観客の気持ちを一身に引き受け、映画(アステア)と観客の接点---インターフェース---の役割をになう。二人のコンビにおける彼女の重要な役割である。


 よくジンジャーの踊りはさして上手くないと書かれることがある。確かに純粋なダンスの技術のみを取り出せばそうかもしれない。しかし彼女のダンスには必ず素晴らしい表現力が加わっている。技術の不足を補って余りある表現力。そこからダンスの技術だけを分離してどうこういったところで現実には何の意味もない。

 これだけの美貌と表現力を兼ね備えた人に、更にこれだけ踊れる力が備わっていることだけで、稀有なことだと言わざるをえない。


 美しさ。類まれな表現力。脱力し腹に重みの落ちた身体。

 二十代のジンジャー・ロジャースがまだ若い三十代のアステアと出会うとき、銀幕上に仮想の身体は溶け合い、観客の想いは引き込まれる。


アステア=ロジャース
時の創った贈り物である。


フレッド・アステア その13 「ジンジャー 2」

 お次はこれを。

 ジンジャーの顔をよく見ていただきたい。

 この人の顔のRKO時代の特徴は二つある。

 重く覆いかぶさるように降りてくる上まぶたと、少し苦いものを味わっているかのようなその口元である。そういう表情なのだと言ってしまえばそれまでだが、実はこれが彼女の身体を規定する大切な要素になっている。

 一般に意識されることは少ないが、顔の動きは体幹部の動きとつながり、相互に影響し合っている。顔の動きは全身の力の分布を決定し、ジンジャーの身体の特徴を作り出す。

 ためしに舌全体を上顎(口腔内の天井である)にべったりと付け、少し苦いものを味わうつもりになってみてほしい。横隔膜が適度に緊張するのがわかる。さらに上まぶたが普通の何倍も重くなってゆっくり下りてくるつもりになってみてほしい。緊張した横隔膜に更に上から力がかかってくる。これがジンジャー・ロジャースの身体イメージである。

 つまり、彼女には常に、みぞおちから腹にかけて重みがかかり、気持ちが上ずると言うことがない。力は常に下方へと流れる。上半身の力が抜けみぞおちから腹に重心の落ちたその体は、柔らかさと共に、観客に信頼や明確な意思の存在を直感させ、スクリーン上の彼女のイメージを形作る。

 第二の特質である。


これがアステアと並ぶと、

 常に上方にベクトルのかかるアステアと、下方に力が流れるジンジャー。相補って非常にバランスが良い。

フレッド・アステア その12 「ジンジャー 1」  

 「アステアはジンジャーに品格を与え、ジンジャーはアステアに性的魅力を与えた」


 アステア=ロジャースについて考える者は誰も、キャサリン・ヘプバーンのあまりに有名なこの寸評に行き着かざるをえない。内容の的確さと表現の簡潔さのため、あらゆる批評はこの言葉の前にたじろぐ。

 「ジンジャーが持っていた品格をアステアが増幅し、アステアが持っていたセックスアピールをジンジャーが増幅しただけ」といった言い換えは単なる言葉の遊びにすぎない。どんな言葉も、結局、ヘプバーンの寸評の周囲をグルグルと廻る羽目になる。だがアステアを語れば、ジンジャー抜きに話を進めることはできない。それほど二人の魅力には抗し難く、その意味も深い。

 アステア論のゴールを目指すなら、ジンジャー・ロジャースは通らねばならない関門である。ここはあえてこう言ってみたい。

「たとえ行き着く先は決まっているにしても、旅には道中の楽しみ方がある」


  • ジョーン・クロフォード
  • ジョーン・フォンテーン
  • エレノア・パウエル
  • ポーレット・ゴダード
  • リタ・ヘイワース
  • ジョーン・レスリー
  • ルシル・ブレマー
  • ジュディ・ガーランド
  • ヴェラ・エレン
  • ベティ・ハットン
  • ジェーン・パウエル
  • シド・シャリース
  • レスリー・キャロン
  • オードリー・ヘプバーン


 ジンジャー以外の主だったアステアのお相手を挙げてみた。さてこの人たちと、ジンジャーの何が違うのか。

 まずはこの写真から見てみよう。


「艦隊を追って」(1936年)より”Let's Face the Music and Dance”
アステア=ロジャースを象徴する裏のトップナンバー。


 このジンジャーの姿を見ていただきたい。壁(柱?)に頭と肩をもたれかけただけの何気ない姿勢にもかかわらず、人生に絶望した女の深い憂いがみごとに表現されている。

 上手い・・・・・・・・そう、この人は上手い。日常のさりげない想いを的確に観客に伝える才能と技術をこの人は持っている。しかも美しく。

 上手さだけを取り出せば、1949年の「ブロードウェイのバークレイ夫妻」の方が優っているかもしれない。しかし、美しさと若さゆえの生硬さと演技力が微妙なバランスをとったRKO時代がやはり輝いている。場面にふさわしい情感をまなざしと体でみごとに表現する才能は、上記の誰をも凌ぐジンジャー・ロジャースの第一の特質である。


これも同様。


 「トップ・ハット」(1935年)から表の代表曲”Cheek to Cheek”
 アステアを見つめる眼差しのやわらかさに、思いのたけが伝わってくる。




 ちょっと羽飾りが邪魔でわかりにくいが、表情と共にそっと触れあう胸の使い方がうまい。このように自身の輪郭を越えて情感を伝える技能に天性のものがある。


2008年2月12日火曜日

フレッド・アステア その11 「鍛えない」

  アステアは撮影前の数ヶ月を除き、一切踊りの練習をしないという。娘のアヴァも同様の証言をしている。もちろん、隠れて稽古をしている可能性もあるのでそ のまま鵜呑みにはできないが、仮に本当なら、アステア自身の身体に対する考え方を知る上でかなり興味深い出来事である。

  普通、一流のダンサーやバレリーナは、公演予定の有無にかかわらず、ほぼ毎日稽古を続けているのではないだろうか。稽古を続ける目的はダンサーの年齢や成 長段階によっても異なるが、一般には筋肉の増強や維持、関節その他の柔軟性の確保および技術の獲得のためと考えられる。言い方を変えると、稽古を怠れば筋 力は落ち、柔軟性を失い、技術は衰える。それでは、あの稽古熱心で完璧主義者のアステアがどうして稽古を続けないのか。

  一般に人間の身体活動の訓練は種目それぞれの必要度によって要求される内容も水準も異なっている。極端な話、体を鍛えるからといって、ダンサーが重量挙げ の選手と同じトレーニングはしない。ダンサーにはダンサーの、必要な筋肉量とその運用法がおのずと決まっているからである。
 同じことはダンスの 分野同士にも、さらに同じ分野内のダンサー間にもあてはまる。 確かに高い跳躍力や柔軟性を要求されるバレエやショーダンスの踊り手なら毎日の訓練は必要 だろう。しかしさほどの跳躍力も柔軟性も必要なく、ごく自然な日常生活の動きの延長が要求される踊りの範疇があるとしたらどうか。

 「アステアというスタイル」であったなら。

 一般的なダンスのトレーニングが、不要な筋力を付け天性の軽やかさを阻害する諸刃の剣だということに、彼は気づいていたのではないか。だとしたら、悪影響を与える稽古はやらない方がましである。

 しかし、本当にアステアは稽古をしていなかったのか(隠れてという意味ではない)。


 「アステア  ザ・ダンサー」にはMGMの「新人」ダンサー、ボブ・フォッシーの語るアステアのエピソードが紹介されている。


 
ある昼下がり、人通りのないMGMの大通りでフォッシーは向こうから歩いてくるアステアに 出くわす。
 「・・・・・歩き方からすぐそれがフレッドだとわかった。彼はうつ向いたままぼくの方に歩い てきた。・・・・・・・・・ついにお互いが近づいた。お互いがすれ違う時、彼は顔を上げずに 『やあ、フォス』といったんだ。ぼくをそう呼んだんだ、フォスとね。彼はそのまま歩き続け、ぼ くは振り返って彼が去るのを見た、彼から目を離せなかったんだ。道に大工の使った曲がっ たクギがあった。フレッドは足で軽くはじき、サウンド・ステージの壁に飛ばすと、クギはカチ ンと音をたてて壁にあたり落ちた。あれは正しくアステアのジェスチャーだ。」(武市好古  訳)


 よく似たスタンリー・ドーネンの目撃談が”ALL HIS JAZZ; THE LIFE AND DEATH OF BOB FOSSE にもある。

 
地面に落ちた板から突き出たクギを、歩いていたアステアは一歩わきへよけ、突然それを 蹴りつけた。すぐ後ろにいたフォッシーはこの姿をまね、アステアがいなくなってから、その 場で唐突な横移動と蹴りがうまくできるようになるまで何度も繰り返した。


ケリー嫌いでアステア崇拝者のフォッシーの逸話からわかる事がある。

  1. アステアは普段の立ち居振る舞いからして、彼に特徴的な動きをしていた。

  2. その動きはフォッシーを陶然とさせるとともに、何度も稽古をしなくてはいけないレベルのものだった。

  アステアの歩く姿がすでに普段のダンスと同レベルであったと言うことは、歩くことで稽古と変わらぬことができていたとも考えられる。これにはこれまで書い てきた、骨を中核に全身を連動させたアステアの動きが関わっている。彼にとって稽古とは余分な力みをつけずに技術だけを育てて行くという繊細な作業であっ た。なまじ常識的な稽古を続けるより、日常生活の中の普通の動き・・・・・・・歩く、飛び退く、蹴る、つかむ、ゴルフ、馬・・・・・でしか磨けない 技があるのだ。日常の動作でダンスに必要な体の動きと身体感覚を養っているアステアには、撮影前の稽古はあくまで振り付けられたルーチンを完璧にこな すための目的でしかない。


アステアは鍛えない。

そして鍛えないように鍛える。


2008年2月8日金曜日

フレッド・アステア その10 「Duo」


たびたび”Puttin' on the Ritz”
このナンバーにはアステアの魅力が凝縮されている。


 ステッキで床を叩くアステア。

 あたかも三本目の足であるかのように使い、たたみこむようにリズムを刻んでいきます。ところが腰から上は下半身の上で優雅に動いているだけなので、まるで上半身と下半身が別のパートを奏でながらハーモニーを作っているような印象を与えます。

 「イースター・パレード」の有名なナンバー”Steppin’ Out with my Baby”では、スローモーションのアステアを普通のスピードで踊るバックダンサーと合成していますが、何もそんなことをしなくても、アステア自身の体が二つの異なったテンポを体現できるのです。

一人で踊るダンスデュオです。

 そのほかにも、中心軸をピタッと据え、大きく開脚したまま滑るように移動したり、スローモーション様の動きを取り入れながら動きとタップの間を自在に操ったりと、ダンステクニック満載です。


2008年2月3日日曜日

フレッド・アステア その9 「瞬間移動」

 またまた出てくる”Puttin' on the Ritz”
 アステア屈指のダンスナンバーに温泉旅館のロビーのようなこのセット。パラマウントも偉い。


 これも動きを見ないとわからないでしょうが、このナンバーの冒頭、アステアが写真のような姿勢から右に左に体の向きを入れ替え、回転します。この動きが実に速い。ただしここで言う「速い」は単純に距離を時間で割った速さのことではありません。単純な速さ自体はそれ程でなくとも、動きの予備動作がないため観客が始動を予測できないことによって生じる感覚としての「速さ」---「気配の無さ」---です。一種の瞬間移動と言ってよいでしょう。

 これも筋肉でなく骨格全体が一挙に動き出すことによって起こる現象です。

 ジーン・ケリーと較べてみるとよくわかります。以前書いたようにケリーの動きの特徴は、筋肉を伝わる波動--「うねり」--にあります。これが重みや質感とあいまってケリー特有の色気を醸し出すのに対し、骨から瞬間的に動くアステアからは、軽さが極まった果ての快楽が生まれるのです。


  続いて「ダンシング・イン・ザ・ダーク」
 公園を散策する二人はこの映像の直後に踊り始めます。


 散歩からダンスに移行する瞬間の二人の動きに注目していただきたい。シド・シャリースが準備段階として左足に重心を移し、右足を上げ、その力を腰や胸にためて右へ回転しながら胸を開いて、やや上方に動き始めるのに対し、アステアはこの姿勢のままややうつむき加減で、前触れもなくフッと動き出します。

 ここでも「うねり系」と「瞬間移動系」の対照があきらかです。


2008年2月1日金曜日

フレッド・アステア その8 「捨てる」

 これまでアステアが体を動かす大まかな仕組みについて見てきました。ここからは体の実際的な運用を考えてみましょう。

 アステアは軸型のひとですが、受ける印象はクラシックバレエのダンサーとはだいぶ異なっています。バレエの踊り手が手足の末端や頭の先まできちんとしたラインを作り、寸分の隙もないのにくらべ、アステアは逆に末端を「捨てて」いきます。

 手でいえば「七分袖」くらいのところまでは気持ちを入れてコントロールしますが、あとは自然に任せています。バレエダンサーの特徴である、のどの下から上胸部をスッと伸ばして首のラインを際だたせる体のつくりも行いません。首も力まず自然に任せたままです。

 アステアはバレエ風の踊りを嫌っていたといわれますが、このように末端を捨てることで、バレエのダンサーからわれわれが直感的に受ける緊張を感じさせません。中心軸がしっかりしていながら観る者に安らぎを与える自然さも、アステアの大切な特性です。

 ただしここで気をつけないといけないのは、末端を「捨てて」はいても、いい加減に扱ってはいないことです。いざ必要なときには手足の先端まで気持ちを入れてコントロールします。

この違いを見ていきましょう。


 「ガール・ハント・バレエ」のワンシーン。

 写真だけでは動きがわからないと思いますが、シド・シャリースが指の先端まできっちりラインを作っているのに対し、アステアの手の使い方は一見奇妙です。素人が盆踊りで手を左右に振るような・・・・・あるいは、片手で壁に何かをペタペタ貼っていくような・・・・・素っ気ない手の動き。

次は同じく「バンドワゴン」から「ダンシング・イン・ザ・ダーク」


ここぞというときは足の先端まで気を行きわたらせますが、それでも力感がないのがアステアならではです。


 最後に一つ。以前から気になっている動きを。


 ”Puttin' on the Ritz”から。 ブレてよくわからない。


 子供が駄々をこねるように手足をばたつかせる動きを本人は嬉々としてやっています。他のナンバーでも同様の振りがあったような気がしますが、アステアのエレガンスや隙のなさとはあまりに対照的で、この動きをとり入れていることが不思議でした。

 今回アステアの体を考えてみて、仮に上述のように末端を捨て身体の中心部を使うことに彼が「快感」を抱くとしたら、この動きを取り入れている意味もなんとなく納得できる気がします。まあ、こればかりはあまり自信がありませんが・・・・・・。


2008年1月31日木曜日

フレッド・アステア その7 「はら」

 下肢をコントロールする腹の使い方をを見てみましょう。


アステアの使う腹の範囲は、エレノア・パウエルほどではないが比較的縦に長い。


 「ジーグフェルド・フォリーズ」(
1946年)から”The Babitt and the Bromide”
 左はジーン・ケリー

 二人の腹の使い方はそれほど異なっているわけではありませんが、ケリーが比較的腹の下部(股関節周辺)でコントロールしているのに対し、アステアはもう少し上のみぞおち周辺までを「絞めて」います。

 距離にすれば大した違いのないこの腹腔内の絞め方が、実は二人のスタイルに大きな影響をあたえています。腹の下部のみを絞めると、ケリーのように重力に任せて中心軸をストンと落とした低い体勢が基本になるのに対し、アステアのように上部まで絞めると、自然に上方に向かってスッと立つ姿勢になっていきます。

 さらにこの体の使い方が感情にまで影響をあたえます。ケリーをまねると自然に何かいたずらでもしてみたくなるような快活さが生まれ、アステアの姿勢をまねすると、どこか乙にすました気分になるから不思議です。

 腹についてはこれ以上説明しませんが、これまでの記載を実際に自分の体で再現できる方ならご理解いただけると思います。


2008年1月29日火曜日

フレッド・アステア その6 「肩甲骨」

では指の先に棒を付ければどうなるか。
棒が腕の延長上にある骨と意識され、さしたる違和感もなく使いこなすことができるでしょう。

 ドラムのスティックです。


 「踊る騎士」(
1937年)の"Nice Work If You Can Get It" や「イースター・パレード」(1948年)の”Drum Crazy”で演じられるアステアのみごとなバチ捌きをご覧ください。

 
次は腕です。

 「有頂天時代」(1936年)から”Bojangles of Harlem”
 小さくて見づらく、もうしわけない。

肘や手首で加速しながら、それぞれの関節で連結された上肢がクランク状の運動を行っています。このとき腕全体が完全に脱力され、肩甲骨が滑らかに動くため、一見、腕に骨がないかのように波打って見えます。

骨で動きながら柔らかく見えるというパラドックス。
 写真一枚ではわかりにくいので、DVDで確認してください。

 こちらは肩甲骨から動き、腕全体を前に放り出すような動きです。肩甲骨の滑らかさと可動域の広さが確認できます。
 さて肩甲骨がリラックスしてこれだけ滑らかに動くと、その動きは骨盤に伝わり下半身を動かしていきます。(このように肩甲骨を駆動力とする動きは、最近ではマラソンの走法にも利用されているようです。)

この動きを使いこなしているとどうなるか。

詳細については避けますが、人体の正中面(中心軸を通り体を前後方向に通る面)に沿って右半身と左半身が独立に回転するような感覚が生まれます。 
 正中面がツルツル滑るガラス板だと想像してみてください。その表面に沿って右半身と左半身が別個に図の矢印のように回転していくのです。

 アステアが浮き浮きしたときに見せる、まるでスキップでもするかのような歩き方はこの動きから生まれて来ます。
























「踊る騎士」終盤、"Nice Work If You Can Get It"

ドラムを叩き終えたアステアはいかにも愉快そうに、軽々と歩き出します。その数秒をキャプチャーしてみましたが、写真では浮遊感がとらえらきれません。

ぜひ動く映像で確認して下さい。






























おまけ



2008年1月22日火曜日

フレッド・アステア その5 「細部に宿る」

 もちろん、人間の体は筋肉を使わず骨だけでは動きません。しかし、動作時に骨を直接動かす意識(または無意識)を持つことで、無駄な筋肉の緊張が起こらずリラックスした動きが生まれます。また骨を意識することで、普通一つの「かたまり」と考えられる体の部位をいくつかに細分化し、それぞれを別個に動かすことも可能になります。これら無駄な力の抜けた動きが、アステアらしい浮遊感や柔らかさのもととなるのです。


 少し具体例を挙げてみましょう。

 といっても、ここから先を考えるには解剖学の知識が少し必要になります。煩わしくならぬようポイントだけ書きますから、図も参考にして頭に入れておいて下さい。

  1. 「手のひら」はひとつの固まりのように見えるが、実は小さな骨(手根骨と中手骨)の集合であり、部分部分を分離して使うことが可能である。
  2. 腕は肩の端から指先までではない。実際に動かす場合、鎖骨や肩甲骨から指先までを腕と考えた方が動作を理解しやすい。
  3. 肩甲骨は肋骨が形成する胸郭の表面に乗っているが、直接肋骨に固定されているわけではない。周囲の筋肉とつながっているだけなので、リラックスさえしていれば肋骨の表面を滑るように移動させることができる。




まずは1の手のひら。

 映画「ブルー・スカイ」から”Puttin' on the Ritz”


 ちょっと小さくてわかりにくいですが、小刻みに両手の指を動かす動作です。単に指だけでなく、手のひらの部分にある中手骨を一つ一つ分離させて指と同様に動かしています。

 指と手のひらの骨を分離して滑らかに使っていくこの特徴が明らかになるのは、ダンスばかりとは限りません。



  これは「パリの恋人」のワンシーン。


 書棚から乱雑に放り出された本をオードリーと整理している場面です。書棚の反対側に据えたカメラの前にアステアの手が現れます。まるで本を指でつまみあげるような動作。書籍の重さを支えるには頼りないほどの持ち方ですが、それが柔らかさと軽さと繊細さを兼ねそろえた動きを生み出し、観る者を魅了します。


 日常のわずかな動作にさえ表現されるアステアらしさ。
まさに「アステアは細部に宿る」です。


2008年1月15日火曜日

フレッド・アステア その4 「骨」

「軽やかな身のこなし」

「観る者を包み込むような柔らかさ」 

  ひとくちにアステアの踊りは「比類がない」と形容しますが、この「比類のない」と言う言葉が指し示すのは、おおよそ次の三つのことがらです。一つは表面的 な踊りの様式やスタイルについて。二つ目はより本質的な体の動かし方や(意識的にしろ無意識にしろ)自己の身体に対する認識の仕方について。そして三つ目 は上手さのレベルについてです。

 この三つを個々に論じることはもちろん可能ですが、実際は相互に影響しあっているため、分離不能なものです。たとえば体の動かし方や認識がある状態になれば、結果としてそれはダンスの上手さのレベルにも結びつけば、踊りの様式をも規定することになります。

 しかしここでは便宜上最も基本的な、体の動かし方や認識の問題について考えてみたいと思います。


 人間の身体運動のタイプを、ごく大雑把に中心軸優位の「軸型」と腹優位の「腹型」に分け、それぞれの人を分類していけば、フレッド・アステアは当然「軸型」にあてはまる人です。優れた身体能力を持つ人で「軸型」の人はたくさんいますが、実際のところアステアに似た人は果たしているのでしょうか。

 ブロードウェイのダンサーについてあまり詳しくありませんが、私が今まで見たミュージカルのダンサーで、アステアに似た人はいませんでした。クラシック・バレエのダンサーはそれこそ「軸型」の宝庫ですが、やはりその動きはアステアと異なっています。

 現代は違うが、過去においてはアステアのスタイルが一般的だったと仮定することも可能ですが、実際に年齢の近いジェームズ・キャグニー(1899年生まれ)、ジョージ・マーフィー(1902年)、レイ・ボルジャー(1904年)の踊りと較べても、それぞれにレベルもスタイルもまったく異なっています。

 ではヴォードヴィル時代からアステアが影響を受けていた黒人タップダンサーはどうだったか。少なくても彼の尊敬するビル・ロビンソンとも違いますし、他のタップ・ダンサー達の残された映像からも似ている人を見たことはありません。

 日本に目を向ければ、「踊りの神様」と呼ばれた七代目坂東三津五郎(今の三津五郎の曽祖父)が似ていると言われることもあるようです。確かに無駄な部分を捨てて軸や腹のみで踊ることのできる三津五郎の踊りはアステアと本質的に共通した部分があるとも言えます。しかし、三津五郎の踊りが軽妙洒脱に向かうのと、アステアのエレガンスとはやはり趣が異なります。
 踊り以外の分野で現代の「軸型」の代表と言えばイチローや浅田真央あたりになるのでしょうが、踊らぬまでもその動作がアステアと似ているかどうかになると首をひねらずにはいられません。


 もちろん私が見た人の数は限られているので、どこかに似た人はいるのかもしれませんが、それでも似ている人がわずかなのは確かでしょう。どんなに優れたダンサーでも多少は筋肉の「におい」がするものです。


ところが、似ている「もの」を見つけました。

これです。




 16世 紀の解剖学者ヴェサリウスの名著『ファブリカ』 の挿絵です。なぜ骸骨に感情表現をさせているのか知りませんが、その結果、「筋肉を失った究極の存在」としての骸骨を、生き生きとした情感を持ったものと して見取ることができます。泣いたり悲しんだりしているのは少し邪魔ですが、アステアの軽みのアナロジーになっています。

 こんなことを書いていると 「それはおまえがそう感じるだけだろう」とか、「骨に似ているからって、それが何なんだ」といった反論が返ってくるかもしれません。もちろんこれは感性の 問題なので、証明しろと言われてもむずかしい。

「そう感じるからそうなんだ」としか答えられないのは確かです。


 しかし真正面からの証明は難しくとも、傍証ぐらいはある。

そして、骨を考えることでアステアの動きの秘密が少しずつ解ってくるのです。


2008年1月13日日曜日

フレッド・アステア その3 「経歴 2」


 なかなか「簡単に」はまとめきれませんでしたが、

 要するに彼のショービジネスでの人生は次の三つの時期に分けられます。
  1. ヴォードヴィル芸人からミュージカルスターに登りつめた「舞台の時代」(1906年-1933年)

  2. スタジオシステム全盛期のミュージカル黄金時代を駆け抜けた「映画の時代」(1933年-1957年)

  3. 主に演技者としてTVや映画に出演したほか、TVのショー番組も制作した「余生の時代」(1958年-1981年)


 「舞台の時代」のほとんどは姉アデールとのコンビです。この時代は、ダンスの上手さはすでに高い評価を得ていたものの、明るく華やかで機転のきく姉の陰に隠れ、どちらかと言えば目立たない存在だったと言われています。実際アデールが結婚し彼一人になるときは、これまでの地位を維持できるのかとずいぶん悩んだようです。この時代の演技やダンスは映像がほとんど残っておらず、雑誌や新聞の批評から推察するしかありません。

 次の「映画の時代」で特筆すべきは、すでにエレノア・パウエルの項で書いたように、単にミュージカル黄金時代に彼の活躍期が重なったと言うより、アステアの登場そのものが黄金時代を生んだ一因であるということです。ジンジャー・ロジャースとのコンビはまさにハリウッド・ミュージカルのイコンです。さらにその二十五年に近い期間、ミュージカルスターとして常にトップを維持し、最後まで良質の作品に出演し続けたことは驚異と言ってよいでしょう。この時期のすべての作品がビデオやDVDで発売されているのも人気の証です。

 「余生の時代」の始まりは、メジャー各社が財政上の理由からミュージカルの制作に消極的になった時期と一致しますが、年齢的にもダンサーとして引退を考える時期でもありました。ただ1960年に制作されたTVショー「アステア・タイム」を観ても、ダンサーとしていささかも衰えた印象はありません。さすがに、68年の「フィニアンの虹」では年齢による衰えは隠しようがありません。同年のTVショーでもパートナーのバリー・チェイスは、ダンスにそれなりの配慮をしなければならなかったと証言しています。

 このようにアステアは、初期のヴォードヴィル時代を除き、人生の最後までをトップスターとして歩んでいます。しかもその踊りは、単にミュージカル・ダンサーとしての範疇を超え、各界の人々から「神技」とも形容できるほどの賞賛を得ています。亡くなってから後もますます彼のダンスに対する評価が高まっていることは、ダンサーとしての彼がまさに驚異と言ってよい存在だったことを証明しています。


 それでは、このへんでもう一度彼の身体にたち帰り、アステアのダンスの因って来る秘密を探ってみたいと思います。


フレッド・アステア その2 「経歴」


 大上段に振りかぶっておいて肩透かしを喰った気になるかもしれませんが、ここでアステアの経歴について触れたいと思います

 とは言え、すでに「アステア  ザ・ダンサー」(ボブ・トーマス著、 武市好古 訳;新潮社)や「フレッド・アステア自伝 Steps in Time(篠儀 直子 青土社)が上梓され、ネット上にも多くの記載があるためここでは簡単に書いておきます。


 フレッド・アステア ( 本名Frederick Austerlitz)は1899510日、ネブラスカ州オマハに生まれる。オーストリア移民の父フレデリックに、母ヨハンナ(後にアンと改名)、二歳年上の姉アデールの四人家族。二十世紀初頭の禁酒運動の高まりの中、醸造所勤務の父親が失業。これを機に、幼い頃よりダンスに非凡な才能を示すアデールのため進んだレッスンを受けさせようと、母と姉弟は19051月、ニューヨークに移る。

 ダンススクールに通いだした姉弟は、同年11月には早くもプロとして舞台に立ち、翌1906年からは”The Astaires”としてヴォードヴィルの全米巡業に参加。1909年に一旦舞台を離れ、二年間正規の学校教育を受けた後、1911年末から再びヴォードヴィルに参加。次第に頭角を現し、1915年より各地の一流劇場に出演するようになる。

 191711月には初めてレヴュー「オーヴァー・ザ・トップ」でブロードウェイに進出。以後もレヴューやミュージカルに出演し、二人の踊りは観客や批評家から絶賛を博す。1922年「ザ・バンチ・アンド・ジュディ」で初の主役をつとめた後は、ニューヨークとロンドンを行き来しながらガーシュインら一流作曲家の作品で次々とロングランを記録。ブロードウェイのスターに登りつめる。1932年、姉アデールが英国のキャヴァンディッシュ卿と結婚し引退。独りになったフレッドはミュージカル「ゲイ・ディヴォース」で成功した後RKOと契約。舞台を離れ活躍の場をハリウッドに移すことになる。

 1933年、MGM作品「ダンシング・レディ」に本人役でゲスト出演した後、RKOの「空中レヴュー時代」に出演。脇役ながらジンジャー・ロジャースと踊ったダンスが人気を呼び、二人のコンビで計九本の映画が作られる。とりわけ「コンチネンタル」(1934年)、「トップ・ハット」(1935年)、「艦隊を追って」(1936年)などの作品は興行的にも大ヒットし、RKOの財政的危機を救ったとさえ言われている。しかしコンビとしての人気も30年代末には翳りを見せ、興行収入も低下。さらにジンジャーが演技者としての道を望んだため、39年の「カッスル夫妻」を最後にコンビは解消。アステアもRKOを離れることになる。

 1940年以降、特定のスタジオと契約することなく各社の映画に出演。エレノア・パウエル、リタ・ヘイワース、ビング・クロスビーらと共演し、ミュージカルスターとしてトップの地位を保ち続けるが、46年のパラマウント作品「ブルー・スカイ」を最後に映画界を引退。好きな競馬とダンス・スクールの経営に専念する。

 1948年、足を怪我したジーン・ケリーの依頼を受け、代役としてMGM作品「イースター・パレード」に出演。映画界にカムバック。MGMとは53年の「バンド・ワゴン」まで契約を続け、この間、「土曜は貴方に」(1950年)、「恋愛準決勝戦」(1951年)などに出演。「ブロードウェイのバークレー夫妻」(1949年)では十年ぶりにジンジャー・ロジャースと十作目の共演を果たしている。

 1954年以降は再びフリーの立場で「足ながおじさん」(1955年)や「パリの恋人」(1957年)に出演。57年の「絹の靴下」を最後にミュージカルを離れ、「渚にて」(1959年)などの映画で演技者として活躍する一方、1958年から60年にかけテレビで三本のワンマンショーに出演。エミー賞を獲得するなど好評を博す。1968年、ワーナーで最後のミュージカル作品となる「フィニアンの虹」に出演。MGM黄金時代のアンソロジー「ザッツ・エンタテインメント」(1974年)で、ミュージカル映画の素晴らしさが再認識されると、「ザッツ・エンタテインメントpartⅡ」(1976年)ではジーン・ケリーと共に司会として登場し、健在振りを見せる。81年までテレビや映画に出演を続けたほか、同年4月にはAFI(アメリカ映画協会)より生涯功労賞を授与されている。


 1987622日肺炎のため死去。享年88


2008年1月12日土曜日

フレッド・アステア その1 「ガール・ハント・バレエ」

















まずは定番・・・・・・このかたち
アステアのお相手はもちろんシド・シャリース


  「フレッド・アステアの代表作は?」と問われれば、候補として必ずその名が挙げられる「バンドワゴン」(監督ヴィンセント・ミネリ 1953年)。最高かどうかは別として、後期の秀作であることに間違いはないでしょう。と言っても、ここで問題にしたいのは映画そのものではありません。同作の終盤、舞台公演の形で演じられるプロダクションナンバー「ガール・ハント・バレエ」(マイケル・キッド振付)です。
 ミッキー・スピレーン風探偵小説にミネリ好みのシュールな感覚を加えたこのダンスは、秀作揃いの同作品プロダクションナンバー中でも「最高」と讃えられています。しかしこのナンバーを最初に見た頃から、何とも言えない違和感が私の中にありました。

 べつに、ここでアステアの踊りがよくないとか、振付がまずいと言いたいのではありません。アステアは相変わらず上手いし、シド・シャリースは美しい。酒場の雑踏シーンでのダンサーの動きは躍動的で、猥雑なエネルギーに満ちています。 
 でも何かが変。何かが足りません。まるでどこかに「スカスカ」とした隙間があるようです。料理に喩えれば、「美味くはあるが何か一味たりない・・・・・・・・けれどそれがスパイスなのか、ダシなのかよくわからない」

そんな風に感じていました。

では何が足りないのか?


  これです





 バーのカウンターを背に、敵に銃を向けるアステア。


 当初彼はこのナンバーに気が進まず、自分にうまく踊れるのかと不安を口にしていたといわれています。それでも踊ってしまえばそれなりの水準に仕上がるのは、もちろんアステアの実力あってのことですが、技術では覆いきれない根本的な欠落がここにあります。それは何か。

 アステアの体が貧弱に見えるのです。

 ハードボイルド小説の探偵と聞くと私が無意識に期待してしまうのは・・・・・・・・「厚い胸板」、「頑丈な顎」、「太い腕」。そして、こういった肉体から発するタフで自信に満ちた暴力性と、孤独なセクシャリティー。しかしこのナンバーに見るアステアの体からは、これらの要素がみごとに抜け落ちています。 
 ナンバー全体を通してどこか「スカスカ」した違和感がぬぐいきれなかった原因は、この「豊かな筋肉から発する身体性」の欠如だったのです。

 歌舞伎で役者の個性に合わない役を演じることを、その役者の「人(にん)にない」と言います。どんな名人上手でも、その人の柄に合わない・・・・「人にない」・・・・役をやると、なんとなくしっくりこない。たとえ下手な役者でも、個性と役柄がぴたりと合えば見栄えがするばかりか、役の本質をも充分表現することができる。ちょうどそれと同じことが起きています。 この探偵はアステアの「人にない」役だったのです。

 フレッド・アステアについて語るにあたり最初に「ガール・ハント・バレエ」を持ち出したのには理由があります。それはこのナンバーが、彼の身体にはおよそ暴力やセクシャリティーを表現すべき筋肉の質感が欠けていることを明らにしているからです。ダンスの上手さや振付の斬新さでは隠し切れないこのアステアの身体的特質は、彼のダンスが性と暴力で象徴される「現代」を表現できないという限界を露呈させています。しかし、まさにそれだからこそ、アステアのダンスが時間を超えた「永遠性」を獲得した理由をも同時に語っているのです。

 仮にアステア自身が自らその身体を選び取ったことで「時間を拒否した」と言えばあまりに恣意的に過ぎ、「時間から拒絶された」と書けばあまりに擬人化に過ぎた表現かもしれません。しかし現代を表現できないことを代償に獲得したそのダンスの永遠性こそが、まさに、アステアの踊りを他に較べるもののない最高の存在たらしめているのです。

 では、筋肉を失ったアステアをアステアたらしめている身体の本質とは何なのでしょう。


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