2010年9月26日日曜日

ディアナ・ダービン その1 「ユニヴァーサル1」
















カール・レムリ(18671939


 1867年、ドイツ南部の町ラウプハイムに生まれたカール・レムリは、1884年、兄を頼って渡米。英語を学びながら小売業に従事し、シカゴで販売員の仕事に就いた後、ウィスコンシン州オシュコシュへ移り、衣料品会社の帳簿係から支配人にまで出世します。

 三十一歳で上司の姪と結婚した彼は、再びシカゴに戻り、それまでの蓄えを元手に自ら事業に携わるようになります。安物雑貨チェーンへの投資を手始めに、1906年には、当時ニッケルオデオンと呼ばれた安手の映画館を自ら経営し、映画興行に進出するのです。


 商売敵の小屋がおしなべて暗く、暑く、汚らしいことに目を付けた彼は、自分の映画館に大きな換気扇を取り付け、清潔を保ち、用心棒を雇って乱暴者をつまみ出すよう心がけます。二ヵ月後に早くも二番目の小屋を建設するほどの収益を上げたレムリは、他の劇場にフィルムを仲介するサービスも始め、さらにこれを発展させ、アメリカ各地にフィルム交換所を作り、配給業にも乗り出して行きます。


 当時、映画の制作、配給に携わる者は、フィルムや撮影に関する特許料をエジソンらの設立した特許会社「トラスト」に支払うよう要求されていました。ここで利益が吸い上げられるのを嫌ったレムリは、1909年「トラスト」からの独立を宣言。同年には「独立活動写真会社」を設立し、映画の制作および配給に本格的に取り組むようになります。1910年、全米一の配給業者となったレムリに対し、「トラスト」は様々な妨害工作に出ますが、彼はひるまず、映画制作を続行します。バイオグラフ社からを引き抜いたメアリー・ピックフォードが人気を集めるなど経営も順調に運び、その結果、他のプロダクションを吸収合併。1912年、ここに「ユニヴァーサル・ピクチャーズ」が誕生することとなるのです。


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