2010年11月28日日曜日

ディアナ・ダービン その24 「with Judy」2




















 さらに他の世代との交流にも違いがあります。

 すでに触れたことですが、ディアナの、特に少女時代の作品は、恋へのあこがれが遙かに年上の中年男性との恋や交流として表現されています。背伸びをして大人に見せようとしています。そこに認められるディアナの特徴は、個人としての明確な意志の存在と、単独行動です。

 他方、同時期のジュディはミッキーその他の同世代との交流が主です。同じ年頃の男女との付き合いを通して、悩み、恋をし、笑うのです。ティーンエイジャーのコミュニティが主な活動の領域となり、等身大の恋愛や、仲間意識が主に描かれる対象となっています。

 その相違はおそらく観客層の違いになって(あるいは初めから異なった観客層を狙って)現れたと思われます。ジュディの映画は同年代のファンを中心に人気を得たのに対し、ディアナの映画は大人から子供までを引きつける映画であったのではないかと想像されます。

 このような違いは単にシナリオの設定の違いであり、スタジオがどんな観客層を狙って企画したかによるだけのことかもしれません。しかし、そう見えることを裏から支え、役に説得力を持たせるには、スター自身のパーソナリティがどこかで関係している気がするのです。

 ディアナ・ダービンという人は、撮影の合間にも年上の男性との交流を嫌がらないどころか、むしろ積極的だったといいます。「アヴェ・マリア」撮影中には、同世代の女の子との友情を育む一方、休み時間にハーバート・マーシャルと芸術について語り合っていたそうです。かえって大人との間の方が、満足のいく会話ができていたのかもしれません。結婚相手も二度目、三度目の夫は彼女よりかなり年上です。

 ジュディ・ガーランドも当初はかなり年上の男性と結婚しています。しかし様々な状況から考えると、ディアナが自分と同じ土俵で話のできる成熟した人格を求めていたのに対し、ジュディは年上の男性に依存し、保護してもらいたいという欲求が強かったように感じられるのです。


  MGMとの契約に残ったのが仮にディアナであったなら、それぞれの人生はどうなっていたのでしょう。まったく異なっていたと思うときもあれば、紆余曲折はあっても結局同じような人生を歩んでいたような気がするときもあります。この半年しか生まれの違わない二人の少女は、共に歌と演技に際だった才を持つカリスマ性に富んだスターであったにもかかわらず、映画界を去ってからの人生は極端に対照的です。その人生の明と暗は、まるでスタジオの圧力という光を透過する二枚のガラスの色の違いのように思えてならないのです。


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