2010年8月14日土曜日

レスリー・キャロン 自伝 その22  「恋の手ほどき 3」

 この本ではまったく触れられていませんが、実は19571月、レスリーはミネリが監督することに賛成できない旨の手紙をフリードに送っています。

 内容は「ミネリのことは尊敬しているけれど、彼のもとでは自分自身を十分に表現することができない」ため、「監督はデヴィッド・リーンかジョージ・キューカーにしてほしい」というものでした。フリードはしばらく悩んだ末、彼女の要求をきっぱりとはねつけます。好き嫌いにかかわらず、ミネリの監督の下で撮影にはいってもらおうと考えたのです。

 以下は再び彼女の本から、撮影時のミネリについての思い出です。

 「ヴィンセント・ミネリは『あっちへ行ってしまう人』でした。撮影の間は夢の中にいるようになり、周囲のことが何も見えず、聞こえなくなっているのです。」

 撮影中に愛する祖母の危篤の報を聞き、レスリーは二日間の休みをもらい病床に駆けつけます。最期を看取った彼女はパリに戻り、コンコルド広場の撮影現場を訪ねます。

 「ヴィンセントは私を見ようともせず、完全に仕事に没頭していました。

 『どうだい、エンジェル?』

 心ここにあらずなのに、それでも親切そうに彼は聞きました。私は同情の言葉を期待しながら溜め息をついて言いました。

 『悲しいわ、ヴィンセント。祖母が亡くなったの。』

 ヴィンセントはリハーサルの動きを目であてもなく追いながら、微かに微笑みました。

 『そうかい・・・それは良いね、エンジェル・・・それは良い・・・』


 私は彼に恨みを抱く気にもなりませんでした。」


0 件のコメント: