2021年2月15日月曜日

築地明石町

 

 鏑木清方の「築地明石町」は1927年に描かれた美人画の傑作である。この作品は、1930年に描かれた「新富町」、「浜町河岸」との三部作として、作者自身の箱書きが添えられ一揃いで保管されて来た。明治期の女性の風俗を描いた三作はそれぞれに優れた作品ではあるが、中でも「築地明石町」が抜きん出た美しさを誇っている。なぜこの作品がそれほど美しいのだろうか。

 それぞれの絵の題材を見てみよう。「新富町」では芝居小屋、新富座の前を行く傘をさした芸者、「浜町河岸」では踊りの稽古から帰る町娘、そして「築地明石町」では当時の外国人居留地にたたずむ若い人妻である。いずれも背景はほとんど目立たたず、前景に当の女性の立ち姿を描いた軸装縦長の作品である。

 前二作が顔をやや俯かせ、前屈みになった姿の中に当時の女性らしい慎ましさを表現しているのに対し、「築地明石町」の人妻は内に秘めた強さが凜とした立ち姿の中に描かれている。黒い羽織を着てはいるが、晩夏であるためか足袋は履いていない。下駄の上の露わな両足は八の字につま先が内を向き、不自然なほど前に重心がかかっている。女性の右足がやや右方に差し出されているため、体の重みの多くが左足にかかっているのがわかる。足の細部を見ても、左足は先端部でその重みを支えるため右に比べて足趾の関節を曲げている。なぜこのような体勢を描いたのだろうか。

 「新富町」と「浜町河岸」の前屈みな体勢は歩いているから可能な姿である。体の前面に重心があっても倒れないのは、前に移動する動きによって均衡を保てるからである。      他方「築地明石町」はその場に直立し右を振り返っている。立ち止まったままつま先に重心のかかった体勢で直立している。急に止まり、振り向いたとも考えられる。このような姿勢をとろうとすると、背骨と腰は背部から体の深部に向かって入り込む。腰が反って脊椎が上下にまっすぐ伸びた格好になる。入れ込んだ腰からまっすぐ伸びる脊椎は、相対する者に毅然とした凜々しさを感じさせる。決然とした個人の意思を感じさせる。他方、内向きの足や俯き気味の頭部は抑制された感情と内に秘めた勁さを感じさせる。伝統に裏打ちされた内向きの勁さである。つまりこの姿勢には近代的な自立した自我と、伝統的情緒とが融合されている。二つの相反する要素が一人の女性の立ち姿に同時に表現されている。

 「築地明石町」はこの両者の混成から生まれた熱量を美人画という枠の中に抑え込み、両者の均衡を描ききったからこその傑作である。この女性の佇まいを見れば、黒髪から白い肌、漆黒の羽織、暗い浅葱の着物といった配色も必然として導き出されたように感じられる。

 ダンサーを論じる場にわざわざ日本画の話を持ってくることを怪訝に思われるかもしれない。しかし絵画にしろダンスにしろ、その姿が優れたものであれば、見る者に何かを訴えかける身体が存在することに変わりはない。そしてそのような身体であるためには、何らかの構造的裏付けがあることをこの絵は物語っている。これからフレッド・アステアを中心にダンスの深さについて考えて行くにあたり、ダンサーの身体を考えることは避けて通れない。そして優れた身体を考えれば、その因って立つ仕組みについて考えざるを得ない。このことを念頭に、これから美しい舞踊の身体とは何かを私なりに考えてみたい。

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