2024年6月10日月曜日

ベッツィ・ブレア回想記2

 

 ベッツィ・ブレアは19231211日、ニュージャージー州クリフサイド・パークの生まれ。19401月、コーラスガールのオーディションを受けるため、ニューヨークのナイトクラブ「ダイアモンド・ホースシュー・クラブ」へやって来た彼女は、人気のないホールで一人椅子やテーブルを片付けている青年に出会う。日程を間違え一日早く来たことを知った彼女が帰ろうとすると、青年は声をかけた。

「君はダンサーかい?」

「ええ」

「上手いの?」

「とっても」

  翌日オーディションに参加した彼女は、昨日下働きのボーイと思った青年が、ショーの振り付けを担当するジーン・ケリーであることを知る。彼女はケリーの口添えで合格できるが、仲を深めた二人は翌年9月に結婚することとなる。

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 シェリダン・モーリーとルース・レオンが書いた写真入り大型本“Gene Kelly: A Celebration” には、私が去りジーンが再婚した後の家で、生活がどう変わったかが描かれている。「ジニーはバレーボール・コートで繰り広げられる社交的な集まりや、際限なく続くジェスチャー・ゲームを好きになれなかった・・・・・まるで邸宅の周囲に高い塀が張り巡らされたかのようだった」

 1970年代の終わり頃、ジーンは“ビバリーヒルズ時報”のインタヴューに答えている。彼が語ったのは自分の仕事のことではない。愛情にどれほど恵まれていたかについてである。私やジニーとの二度の結婚、三人の子供が今どれほど人生の喜びになっているかについて語ったのだ。ブリジットとティムの子供時代、彼は二人に献身的に尽くした。その頃には、(娘の)ケリーは自身の人生を歩み、キャリアを築きつつあった。

 ジーンは死の数年前にまた結婚をした。子供たちは、とても若い新妻を父親にふさわしい知的な伴侶と思い、歓迎した。悲しいことに彼女は彼と子供たちを裏切った。彼女がジーンから大きなものを奪い去ったと私は信じている―――最初に彼のプライドを、そして生きる喜びを。最後に財産のほとんどを手に入れた。現実的な態度と、物事を見極める洞察力を備えたジーンが、うぬぼれの強い老人に変わり果てたなどと想像することは、私にはつらい。でも恐らくそうだったのだろう。若く頭の良い女性が、ただの愛情だけで自分を好いてくれていると信じ込む男は、彼に限ったことではないのだろう。

 

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