2024年6月11日火曜日

ベッツィ・ブレア回想記3

 

三番目の妻、パトリシア・ウォード・ケリーは、元ライター。1985年、26歳の時にジーンと出会い、回想記の執筆のために雇われる。1990年に二人は結婚するが、回想記が出版されることはなかった。

ジーンとベッツィの間に生まれた娘ケリーは、イギリスにいたアンナ・フロイトの下で修行をし、心理療法家となった。同じ心理療法家の夫との共著で児童や家族関係について多くの著作を発表している。

ちなみにアンナ・フロイトは、精神分析の創始者ジグムント・フロイトの娘で、児童精神分析の分野に多大な功績を残している。

 

 最初の脳卒中の発作によってジーンは入院した。当然、ケリーとティムは電話をかけ、愛情をこめて、心配しているとのメッセージを残した。ジーンにこの電話のことが知らされなかったのではないかと、二人は感じている。ブリジットは彼女が病院にいると「彼にとって邪魔になる」とまで言われた。しかし彼女は、到着したとき父親の目に喜びが宿ったことに気づき、毎日顔を出した。

体の半側に麻痺を残すことになる二度目の発作が起こると、慣れ親しんだものすべてが彼から遠ざけられた。50年にわたり秘書を務めたロイスは、もはや家の中で歓迎されない存在になった。鍵は換えられ、新しい家政婦が雇われたのだ。主治医もマネージャーも弁護士も解雇され、別の人に替えられた。電話をしても返事は来なくなった。数ヶ月にわたりメッセージを残した昔からの友人たちに、折り返しの電話がかかることはなかった。ジーンの具合があまりにも悪く、外部との連絡も絶っているのだろうと、彼らは想像した。

たくさんの人が、知っていることはないかと私に尋ねた。私が知っているのは、ミシガンに住むケリーから聞いたことだけだった。彼女はブリジットから報告を受けていた。ついには、ブリジットが面会の予約を取り付けるために立ち寄ることさえ禁ずると言いわたされた。だが彼女は母親であるジニーのガッツを受け継いでいた―――誰も彼女を止めることはできない。というわけで、とにかく彼女は押しかけて行ったのだ。

 きっと彼は哀れみなど望んでいなかっただろう。活発なスポーツマンであったあの男が、あのダンサーが、不自由な体になっているという思いもしない成り行きを、彼自身、理解していたと私は思う。彼は決して愚痴などこぼさなかった。

 

 

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