2010年7月9日金曜日

レスリー・キャロン 自伝 その14 「巴里のアメリカ人 2」

 レスリーの演技指導をしたのは、監督のミネリではなくジーン・ケリーでした。彼女は「ケリーの『弟子』」と断言します。

 「まだ言葉で自分自身を表現することも、まして英語でそうすることにも慣れていませんでした。そんな私をジーンはカメラの前で辛抱強く、ユーモアを交えて指導してくれました----私のことを愛情をこめて”レスター”と呼びながら。

 『レスター、このシーンをおばあちゃんに見てもらいたかったら、セリフを言うときはカメラの方を向いた方が良いよ』


 河岸のシーンで、すでに階段を駆け上がっているジーンに向かって言ったセリフは今でも良く覚えています。

 『ジェリー! 今さら言ってもしかたがないけど・・・・・愛してるわ! 』

 皆に笑われはしないかと心配で、化粧の下の顔は真っ赤になり、汗が急に吹き出してきました。」


 「カメラは私にとって冷酷で、恐ろしい存在でした。舞台の暖かな観客がなつかしく思われたものです。

 それでも時間が経つにつれ、いつもカメラの真下に座っていたヴィンセント・ミネリの存在にも慣れてきました。彼は私のことを”エンジェル”と呼んでくれました。こんな風に呼んでくれる人に対して誰が逆らえるでしょう。私はいつも彼を喜ばせたいと思っていたのです。でも彼のことをよく理解できるようになったのは、「恋の手ほどき」の撮影でもっと親しくなってからのことです。」

 「彼はどの男性よりも女性をよく理解していました。結婚を三度していましたが、彼の心はいつも女性の側に立っていたのです。彼と一緒に仕事をすれば、その想像力や美的感覚のすばらしさを知ることとなります。劇的な状況で心を打つ表現を作り上げたとしても、それが観客の鼻につくようなことはありませんでした。上品になりすぎぬよう心を砕いていたのです。」

 「ミネリとケリーは仲も良く、互いに尊敬の念を抱いていました。お互いの感性を尊重し合っていたのです。たとえジーンの主張が強くなりすぎたとしても、ヴィンセントは上手くぶつからないようにしながら、自分のやり方を通すことができました。彼はものごとが上手く運んでいる限り、喜んで相手のやり方に合わせていました。でも美的観点から見て過っていれば、断固として譲りませんでした。」


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