2010年7月2日金曜日

レスリー・キャロン 自伝 その13 「巴里のアメリカ人 1」

 渡米から三カ月経ち撮影が始まる頃、母マーガレットはパリに帰ります。母の帰国後レスリーは精神的よりどころをすべて失うことになりますが、それは新たな彼女自身の誕生でもありました。

 「今直面している全く何も解らない状況に対処するには、『精神的手術』が必要だった。自分自身を強くしなければいけなかった。ノスタルジックになっている暇はなかった。」


 いざ撮影開始となると、メイクアップが問題になりました。バレエ団では化粧も髪も彼女自身でやっていました。しかし撮影所ではそうはいきません。メイクアップとヘアードレスの専門家にまかせなければならないのです。

 ラナ・ターナーやエヴァ・ガードナーと同様に当時の流行を取り入れるよう強制された彼女は反抗します。結髪部の責任者シドニー・ギラロフにフランスのトップモデルと同じ髪型---男の子のように短くストレート---にしたいと説明しますが判ってもらえず、そこから実力行使にでます。自宅の狭いバスルームで、爪切りバサミを使い髪を切り始めたのです。

 「私がどうしたいかを、みんなもきっと分かってくれるわ・・・・・・」


「その結果は皆いやになるほど分かることになります。

 朝7時に私がメイクアップ室に到着するやいなや、すべての仕事は中断され、お偉方が招集されるはめになったのです。カルヴァー・シティからビヴァリーヒルズやベル・エアーにかけられた電話のベルがけたたましく鳴ります。その結果、私は壁を背に立たされ、銃殺部隊を目の前にする羽目になったのです。

 皆は一列に並び、惨状を目の当たりにし、信じられないように首を振っていました。制作部門の責任者ベニー・タウ、プロデューサーのアーサー・フリード、監督のヴィンセント・ミネリ、メイクアップ部門の責任者ウィリアム・タトル、結髪部門の責任者シドニー・ギラロフ、そしてジーン・ケリー。

 短時間の協議の末、私は家に帰され、髪が伸びる時間をかせぐため撮影開始は三週間延期されます。三週間の休み・・・・・この馬鹿娘の近くにはハサミを置かないこと・・・・・・、そしてジーン・ケリーからの最後のお言葉

 『いいかい、首にならなかっただけ良かったと思いなさい』

 でも三週間の撮影延期はそれほど悪いことばかりではありませんでした。英語が上達する時間を与えてもらえたのです。」


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