2010年12月1日水曜日

ディアナ・ダービン その26 「おまけ」


 124日はディアナ・ダービンさん89歳のお誕生日です。



この項終わり



 <追記>
2013月に91歳で亡くなられたそうです。
ご冥福をお祈りいたします。


ディアナ・ダービン その25 「エピローグ」

 (MGMの)オーディションを受けた私と母を迎えに、父がスタジオまで来た時のことは良く憶えています。父は顔色が悪く、具合が悪そうでした。それまでに二回倒れたことがあって、医者から当分の間仕事をしない方が良いと言われていたのです。先の見えない状態だったのです。 「パパ、週に100ドルずつ私がもらってくれば、お家は助かるの? 明日またパパに来てもらって私と契約したいってスタジオで言われたの」  そう話した時の父の顔を決して忘れません。うれし涙があふれていました。

 ディアナ・ダービンはけなげな少女です。それは役の上だけのことではありません。病弱な父を抱え、家族の生活が彼女の肩にかかっていたのです。ディアナかジュディかを選ぶ時、メイヤーが「太ったほうを落とせ」と指示したという逸話の真偽は定かではありません。しかしMGMから契約解除を伝えられた彼女のつらさは、われわれの想像を絶するものがあったのです。

 私にとってこの出来事はまさに”終わり”だったのです。犬のティピィとしばらく散歩をしながら思いきり泣いて、死のうとさえ考えました。負け犬のまま学校には戻れません。それから数ヶ月もしないうちに、『天使の花園』の宣伝旅行を終えてニューヨークから戻ると、私の顔が描かれた大きなポスターがハリウッド中に貼られていたのです。疲れていたけれど、幸せで心も浮き立ちました。

 ユニヴァーサルと契約し瞬く間にスターとなったディアナは、仕事にも前向きに取り組みます。

 ショウビジネスは嫌いじゃありません。歌うことも好きでした。撮影現場は楽しかったし、一緒に仕事をしてる人たちも好きだった。最初の日は緊張したけれど、その後はカメラの前でもとてもリラックスできました。共演した皆さんとも楽しく仕事ができたのです。ハーバート・マーシャル、メルヴィン・ダグラス、フランチョット・トーン、ヴィンセント・プライス、ウォルター・ピジョン、ジョセフ・コットン、それにロバート・カミングス---相手役の男性はみんなずっと年上でしたけど。二つの作品で共演したチャールズ・ロートンとは特別なお友達になりました。こういった才能ある男性と共演したおかげで、とても勉強になったし、普通の十代よりは早熟だったと思います。難しかったのは、こうした大人びた様子は隠しておかなくてはいけなかったことです。映画や宣伝でのイメージどおり、子供らしくしていなくてはいけませんでした。

 成長はやがてスタジオへの不満へ、批判へと進んでいきます。その過程で明らかになるのは、彼女の誰にも頼らぬ決断力であり、それを貫き通す意志の強さでした。ヴォーン・ポールとの恋愛も親しい友人にさえ話さず、最後は自分で決めたと謂います。何事につけディアナは自分で判断し、自分で決める人だったのです。スクリーンに立ちのぼる彼女の爽やかさは、おそらくその「きっぱりとした決断力」に裏打ちされたものだったのです。

 映画会社とスターとの軋轢は枚挙にいとまがありません。与えられたイメージへの嫌悪、より多くの報酬、演じがいのある役---これらをめぐって多くのスターが戦い、傷ついて来ました。スターに勝ち目はありません。問題は時間だからです。時の前に容色は衰え、かつての魅力は消えうせていきます。年齢にあわせ適応していけた数少ないスターを除き、多くは戦う自身の足場を失っていきます。その過程で「やめる」ことの選択肢を自ら選び取れたのは、何より彼女に備わった偉大な健康さであり、確固とした決断力があったからです。

 ディアナ・ダービンは特異なスターです。観客はスクリーン上に放たれるその明るさと行動力に魅せられ、歌を愛し、仮想の彼女自身を追い求めていきます。"Little Miss Fix-It”のイメージは個々の映画を飛び越え、ディアナ・ダービンという一つの作品を作り上げます。「いつまでも突然歌い出す"Little Miss Fix-It”ではいられない」と彼女が語った時、まさに引退を決断するしか道は残っていなかったのです。

 彼女の偉大な健康さは、その力によって「ディアナ・ダービン」を作り上げ、そして最後はその力によって「ディアナ・ダービン」に終止符を打ったのです。


後年、ジュディ・ガーランドはパリでばったりディアナ・ダービンに出会います。ディアナはいかにも幸せそうだったといいます。ジュディはこの昔の同僚に自分の悩みを打ち明けます。すると、ディアナは笑いながら言ったそうです。

「そんな仕事、どうしてやめちゃわないの? お馬鹿さんねェ」


2010年11月28日日曜日

ディアナ・ダービン その24 「with Judy」2




















 さらに他の世代との交流にも違いがあります。

 すでに触れたことですが、ディアナの、特に少女時代の作品は、恋へのあこがれが遙かに年上の中年男性との恋や交流として表現されています。背伸びをして大人に見せようとしています。そこに認められるディアナの特徴は、個人としての明確な意志の存在と、単独行動です。

 他方、同時期のジュディはミッキーその他の同世代との交流が主です。同じ年頃の男女との付き合いを通して、悩み、恋をし、笑うのです。ティーンエイジャーのコミュニティが主な活動の領域となり、等身大の恋愛や、仲間意識が主に描かれる対象となっています。

 その相違はおそらく観客層の違いになって(あるいは初めから異なった観客層を狙って)現れたと思われます。ジュディの映画は同年代のファンを中心に人気を得たのに対し、ディアナの映画は大人から子供までを引きつける映画であったのではないかと想像されます。

 このような違いは単にシナリオの設定の違いであり、スタジオがどんな観客層を狙って企画したかによるだけのことかもしれません。しかし、そう見えることを裏から支え、役に説得力を持たせるには、スター自身のパーソナリティがどこかで関係している気がするのです。

 ディアナ・ダービンという人は、撮影の合間にも年上の男性との交流を嫌がらないどころか、むしろ積極的だったといいます。「アヴェ・マリア」撮影中には、同世代の女の子との友情を育む一方、休み時間にハーバート・マーシャルと芸術について語り合っていたそうです。かえって大人との間の方が、満足のいく会話ができていたのかもしれません。結婚相手も二度目、三度目の夫は彼女よりかなり年上です。

 ジュディ・ガーランドも当初はかなり年上の男性と結婚しています。しかし様々な状況から考えると、ディアナが自分と同じ土俵で話のできる成熟した人格を求めていたのに対し、ジュディは年上の男性に依存し、保護してもらいたいという欲求が強かったように感じられるのです。


  MGMとの契約に残ったのが仮にディアナであったなら、それぞれの人生はどうなっていたのでしょう。まったく異なっていたと思うときもあれば、紆余曲折はあっても結局同じような人生を歩んでいたような気がするときもあります。この半年しか生まれの違わない二人の少女は、共に歌と演技に際だった才を持つカリスマ性に富んだスターであったにもかかわらず、映画界を去ってからの人生は極端に対照的です。その人生の明と暗は、まるでスタジオの圧力という光を透過する二枚のガラスの色の違いのように思えてならないのです。


ディアナ・ダービン その23 「with Judy」
















1936


「ジュディには初めからとてつもない才能が備わっていました。彼女はプロで、二歳の頃からステージに立っていたのです。彼女の後半生は悲劇かもしれませんが、彼女は決してあきらめなかったと思います。彼女には呼吸をするのと同じように観客が必要だったのです。」

 ディアナ・ダービンとジュディ・ガーランド、ラナ・ターナーの人生と映画を、対比しながら書いたらおもしろそうだと考えたことがあります。実際には、三人並べて書くこと自体が難しそうなので、そんな考えはすぐに捨てましたが、この生年もあまり違わぬ---ディアナ1921年、ジュディ22年、ラナ21年(20年?)---三人を、当初抱いていたイメージから、それぞれ良い子、普通の子、悪い子に当てはめる事ができそうだと思ったからです。

 もっとも、彼女らのことを調べてみると、とてもその様な図式通りにはいかないことがすぐわかります。私生活を覗いてみると、ディアナは別として、ジュディとラナのどちらが「悪い」かは一概には言えませんし、役柄から考えても、蠱惑的なラナが「悪い」のは一目瞭然としても、ディアナが良い子で、ジュディが普通と言い切ることはとてもできません。初めに私がディアナから抱いた印象は、「オーケストラの少女」と「アメリカーナの少女」だけからのものでした。そこでは彼女が親のためにつくす優等生としてのイメージしか感じなかったのです。ところが、彼女のすべての主演作を見てみると、その印象を大きく修正せざるを得なくなります。しかも、フィルム上のこととは言え、ジュディとの性格や設定の違いがかなり対照的なのにも気づくことになります。

 映画の上でのジュディは、暮らし向きは基本的に中産階級かそのやや下くらい。まあ、平均的なアメリカ人のそれと思われます。そうでないのは、「踊る海賊」のお姫様と”Everybody Sings”くらいではないでしょうか(「アンディ・ハーディー」シリーズに出てくるベッツィー・ブースも? 「カップル・オブ・スウェルズ」はナシね)。

 対照的にディアナはお金持ちの娘という設定の割合が相当高く(21作中8作)、さらに、貧乏な娘が最終的にお金持ちと結婚する(らしい)という作品を加えれば、「金持ち化率」はもっと高くなります。そういう意味で、ディアナの映画は大衆の夢を叶えるおとぎ話的な要素が強く、ジュディの出演作は当時のティーンエイジャーの等身大の生活に近いと言うことが可能です。

 役柄も対照的です。何度も書いたようにディアナは"Little Miss Fix-It”として、困難な状況を解決するため自ら果敢に行動していく積極性があります。そのため、時にはその場を取り繕うための嘘をつくこともあります。そういう意味ではとても良い子とは言えません。ただ、観客に「それも仕方がない」、「当然だ」と思わせる説得力を持っているのです。

 一方、ジュディは自分から積極的に動くことはありません。その違いは、ディアナとくらべると本当にはっきりしています。周囲の状況や他者の行動にまきこまれ、その中での反応として行動したり悩んだりするのです。そのため、他者と対立したり、説得しようとしての激しいやりとりも少ない傾向にあります。その違いは、ディアナの映画を観た後でジュディのそれとくらべると、ジュディの映画が、演技も含めて「静か」だという印象を直感的に抱いてしまうほどなのです。

 以前も書いたことですが、ジュディには彼女のペルソナを裏から支える批評性が内在し、周囲の出来事をどこか醒めた目で見ています。周囲の状況と薄紙一枚隔てた距離があります。それに対してディアナは、すべての出来事を「現実」として受け取め、自らそれに関わろうとしていきます。その行動の純粋さ(単純さ?)と積極性が観客に爽快感を与え、「おとぎ話」に一層のめり込ませていくのです。

 この違いは、両者が生活する「映画内世界」に設定された環境とも分かちがたく結びついており、「受け身の批評性」と「行動力の現実性」が、それぞれの物語にそれぞれの「真実味」を加えることになっているのです。


2010年11月27日土曜日

ディアナ・ダービン その22 「引退」

 結婚の後、出産、育児と続いたためか、この時期のディアナの公開作は少なくなっています。1945年は”Lady on a Train”のみ。翌461月に、チャールズ・ロートンと二度目の共演となる”Because of Him”が封切られた後は、「私はあなたのもの」(”I'll Be Yours” 472月公開)まで一年以上の空白があります。

 以後この作品も含め47年と48年に二本ずつの作品が公開されます。内容は、”Up in Central Park”1880年代のニューヨークを舞台にしたミュージカルの映画化である以外は、いずれも以前と変わらぬコメディタッチの作品です。しかしディアナには、スターとしての生活を続ける意欲がすでに消え失せていました。19489公開の「恋ごころ」(”For the Love of Mary; 実際の撮影時期は”Up in Central Park”より前)を最後に、彼女の映画はもはや制作されることはありませんでした。49年末には、36年から続いたユニヴァーサルとの契約も終了。両者間に金銭や制作本数を巡る係争があったものの、最終的にスタジオ側が折れる形で決着することとなります。

 ジャクソンとの離婚が成立したディアナは、50年に娘を連れフランスに移り住みます。同年12月にチャールズ・デイヴィッドと結婚、翌516月に長男のピーターを出産。以来、パリ近郊の農村Neauphlé-le-Châteauに居を構え、マスコミとの接触を断ったまま、今日に至るのです。

 

 但し1983年に、彼女は一度だけインタヴューに応じています。その内容は英国の映画雑誌”Films and Filming”に掲載されましたが、記事の中で、映画界を去る頃の気持ちを次のように振り返っています。

どうして引退したかですって? たとえば、最後の四本を観てご覧なさい。そうすれば、私が演じなくちゃいけなかったお話は、”出来が良くなかった”なんてもんじゃなくて、”どうしようもない”方に近いのが良くわかるわよ。ストーリーや監督について不満や希望を伝えても、スタジオはいつも受け付けてくれないの。私は最高のギャラをもらいながら、最低の題材を割り当てられてたの。今になって考えると、私の給料は、どこにも良いところのないこういった作品と付き合わなくちゃならなかったつらさの代償みたいなものね。


 相変わらずの辛辣さです。

 しかし、そういった「最低の題材」を観たファンからの手紙は、ビデオやDVDの普及と共にますますその数を増し、返事を書ききれないほどの数が今も彼女に届いているのが現実なのです。










60~61歳頃のディアナさん



2010年11月24日水曜日

ディアナ・ダービン その21 「Lady on a Train」

 194412月の末に封切られた“Can't Help Singing”は、ディアナ初のカラー作品ということもあり大ヒットを記録します。
 翌456月、彼女はプロデューサーのフェリックス・ジャクソンと、ラスヴェガスの小さな教会でひっそりと結婚式を挙げます。ジャクソンは彼女より19歳年上で、すでに離婚歴が三度もある人物でした。案の定(?)一年ほどすると、ジャクソンの方から結婚生活に不満を漏らすようになります。二人の間には、'462月に初めての子供ジェシカが誕生したものの、'471月、ついに別居。最終的には、194910月に離婚することとなります。

 さて、” Can't Help Singing”の次の作品として'458月に封切られたのが、サスペンス・コメディーとして楽しめる、”Lady on a Train”
 監督は後にディアナの三番目にして最後の夫となるフランス人チャールズ・デイヴィッドです。
 サンフランシスコからニューヨークにやって来た大富豪の娘ディアナは、速度を落とした列車の窓から向かいのビルで行われた殺人事件を目撃してしまいます。到着するなり警察に駆け込みますが、事件の起こった証拠もないため取り合ってもらえません。ミステリー好きの彼女は愛読する本の作家の協力も得て、殺されたと思われる男の屋敷に忍び込みます。そこで男の愛人と間違われたことから、一族の争いに巻き込まれ・・・・・
というお話。
 サンフランシスコの父親にベッドの上から電話で「きよしこの夜」を聞かせる場面は、少女時代の同様な場面を彷彿とさせると共に、現在のグラマラスな彼女を見せることで、変わらないディアナを見たい観客と成熟した姿を見せたい彼女自身を同時に満足させる妥協の産物だと言われています。



 もちろんナイトクラブの場面での”Gimme a Little Kiss, Will Ya, Huh?”のセクシーな歌声も素敵です。
 結局われわれ観客には、この映画や”It Started with Eve”のようなコメディタッチの作品が、この時期のディアナ・ダービンの良さを最も引き出しているように思えるのですが、当人の不満はやはり続いていたようです。 





2010年11月23日火曜日

ディアナ・ダービン その20 「Can't Help Singing--歌わずにはいられない」
















旅の途中、風呂桶の中でタイトルソングを歌うディアナさん

そういうわけで、非常にふくよかである

体型に関する感覚が今日とは異なる当時においてすら、太りすぎではという声が多くなっていきます


 ディアナ・ダービンの出演作を通して観ていると、果たして彼女の映画はミュージカルなのかと疑問に思うことがあります。もちろん” Can't Help Singing”や”Up in Central Park”1948年)のような「本格的な」ミュージカルも存在します。こういった作品では、それまで普通にしゃべっていた登場人物が、会話の文脈と感情の流れに乗って「突然歌い出す」という、典型的なミュージカルの手法が使われています。ダンスの場面もあります。

 しかしほとんどの作品で彼女が歌うのは、演奏会やパーティー、ナイトクラブ、家族に歌を聞かせるなど、何らかの「歌う理由」をストーリーの流れの中に設定されてのことです。その意味では、それなりの必然性を備えています。けして彼女は「突然歌い出し」てはいません。ただ、歌う設定が少しばかり強引に作り上げられ、彼女の歌を「とにかく聴かせ」ようとする点をとらえれば、「突然に歌い出すと言えなくもない」だけです。


 私たちがミュージカルと「思っている」映画の中での歌の使われ方を考えてみると、おおよそ次の三つに分けられると思われます。一つは、ドラマの部分で、場面の緊張や登場人物の感情が何らかの意味で高まったときに、その状態が歌としてさらに展開されていく場合。二番目は、舞台や映画撮影、ナイトクラブなどのショーの場面として歌われる場合。三番目は、一番目、二番目の意味を多少は含みながらも、「とにかく歌う」場合---プレスリーの一連の作品などいわゆる「歌謡映画」が当てはまると思われます。

 彼女の歌はミュージカルに中核的な歌の使用法と思われる第一の場合---「場面の緊張や感情の高ぶりを有機的に歌に発展させる」---の要素が非常に希薄です。 そのほとんどは、第二の場合を含みながらも、どちらかというと第三の場合に近いものです。観客はとにかくディアナ・ダービンの歌を聴きたがっています。その観客の欲求に沿うかたちで、映画の中に歌う設定を少しばかり強引に作り上げ、「とにかく聴かせ」ていくのです。歌がストーリーを邪魔しているとまでは言わないが、本来別に無くてもかまわない。それでも観客は彼女の歌を聞き満足する---そういった点でディアナの映画は、ミュージカルの一種ではあっても、歌を聞きたい観客のために歌う機会を設定していった歌謡映画的な色彩が濃いと思われます。


 人気歌手が主演した映画ならいざ知らず、本来映画スターであるディアナの出演作が歌謡映画的になってしまうところに、この人の歌うスターとしての特異性があるのです。