2010年6月10日木曜日

レスリー・キャロン 自伝 その3 「生い立ち」2

 二人が恋に落ちたのはクロードが大学最後の年です。しかし、離婚歴があり年も五つ上、髪は脱色したブロンドでおまけにタバコも吸う元ブロードウェイのダンサーをキャロン家が受け入れるには相当の抵抗があったようです。

 クロードが兵役を終えた1929年、ようやく二人は結婚。結婚後も祖父の屋敷に同居し、レスリーもそこで育つこととなります。彼女には二歳年上の兄がおり、お転婆な彼女は兄のマネをしながら楽しく子供時代を過ごしますが、1939年に第二次世界大戦が勃発。物資も不足し、不安の中で窮屈な戦時下の生活を余儀なくされます。しかしドイツ軍に占領されると逆に治安は安定したらしく、11歳の時に彼女はバレエを習い始めることになります。

 レスリーがバレエを習うようになったのは彼女自身の意志によるものですが、母親の影響もあったようです。母親は常にアンナ・パブロヴァやニジンスキー、バレエ・リュスのすばらしさを語っていたのです。

 母マーガレットは世間一般の母親とは少し違った人でした。夫が帰る頃までを自室で過ごし、好きな読書や友人との会話を優先させていました。しかし子供を放っておいたというわけでもなく、彼女なりの方針で育てていたようです。レスリーに対しても、自分自身で食べていけるようなプロのキャリアを身につけることや、それが男性のために途中で挫折することがないようにと教えています。


 14歳の時レスリーは50人の中から選ばれた6人の内の1人として国立バレエ学校「コンセルヴァトワール」に入学します。懸命に稽古に励んでいた彼女ですが、なんと、学校で与えられたチュチュのデザインが気に入らないからという理由で退学してしまいます。オペラ座に入る夢も絶たれたと落胆するレスリーですが、母親はローラン・プチのいるシャンゼリゼ・バレエ団への入団を勧めます。

 最終的にプチから認められた彼女は、シャンゼリゼ・バレエ団に入団することになります。

19479月、16歳の時でした。


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